ep.37 オンベレブンビンバ
时长: / 首播:2022-09-25
畠山重忠の討伐と代償
元久2年(1205)6月22日、畠山重忠軍が、義時らが率いる討伐軍と抗戦。兵力差をものともせず奮戦しましたが重忠は討ち取られ、畠山氏は滅亡しました。このとき重忠が率いたのは、わずか百三十四騎。重忠の弟や親族のほとんどは他所におり、合戦に加わることはできませんでした。このことから、義時は「重忠が謀反を企てたという疑いは偽りである」と断じ、父・北条時政へ無念な思いをぶつけています。
多くの御家人たちから尊敬と信頼を集めていた重忠の無実の死は、追討を命じた時政の立場を悪化させました。『吾妻鏡』元久2年(1205)7月8日条によると、畠山一族から没収した所領が、執権である時政ではなく、政子の計らいによって勲功のあった者に与えられます。まだ幼い三代鎌倉殿・源実朝の意向と称して剛腕を振るっていた時政ですが、その権勢に陰りが生じ、実朝の母である政子の存在感が増していました。このあと、時政・牧の方(りく)夫妻と、政子・義時姉弟との確執は、さらに深まっていきます。
畠山重忠の討伐と代償
元久2年(1205)6月22日、畠山重忠軍が、義時らが率いる討伐軍と抗戦。兵力差をものともせず奮戦しましたが重忠は討ち取られ、畠山氏は滅亡しました。このとき重忠が率いたのは、わずか百三十四騎。重忠の弟や親族のほとんどは他所におり、合戦に加わることはできませんでした。このことから、義時は「重忠が謀反を企てたという疑いは偽りである」と断じ、父・北条時政へ無念な思いをぶつけています。
多くの御家人たちから尊敬と信頼を集めていた重忠の無実の死は、追討を命じた時政の立場を悪化させました。『吾妻鏡』元久2年(1205)7月8日条によると、畠山一族から没収した所領が、執権である時政ではなく、政子の計らいによって勲功のあった者に与えられます。まだ幼い三代鎌倉殿・源実朝の意向と称して剛腕を振るっていた時政ですが、その権勢に陰りが生じ、実朝の母である政子の存在感が増していました。このあと、時政・牧の方(りく)夫妻と、政子・義時姉弟との確執は、さらに深まっていきます。