ep.39 穏やかな一日
时长: / 首播:2022-10-16
源実朝と和歌
建仁3年(1203)9月に鎌倉殿・征夷大将軍となった源実朝。『吾妻鏡』によると、実朝は元久2年(1205)4月12日に十二首の和歌を詠み、同年9月2日には後鳥羽上皇の親撰ともいえる『新古今和歌集』を京から取り寄せたと記されています。
古代・中世の人々にとって、政治と文化は切り離すことのできない関係でした。後鳥羽上皇の第3皇子である順徳天皇が著した故実書『禁秘抄』には、天皇が収めるべき芸能・教養として、第一に学問(漢籍による政道追究)、第二に音楽、第三に和歌と挙げられています。当時は楽器を奏でる音と和歌を詠み上げる声により神仏と交感することで、天下泰平・国土安穏を実現することができると考えられていたため、為政者である貴族たちは音楽と和歌の習得に励んでいました。
実朝が和歌を詠み始めたのは、朝廷と渡り合わなければならない幕府のトップ・鎌倉殿として、必要不可欠なことでした。
源実朝と和歌
建仁3年(1203)9月に鎌倉殿・征夷大将軍となった源実朝。『吾妻鏡』によると、実朝は元久2年(1205)4月12日に十二首の和歌を詠み、同年9月2日には後鳥羽上皇の親撰ともいえる『新古今和歌集』を京から取り寄せたと記されています。
古代・中世の人々にとって、政治と文化は切り離すことのできない関係でした。後鳥羽上皇の第3皇子である順徳天皇が著した故実書『禁秘抄』には、天皇が収めるべき芸能・教養として、第一に学問(漢籍による政道追究)、第二に音楽、第三に和歌と挙げられています。当時は楽器を奏でる音と和歌を詠み上げる声により神仏と交感することで、天下泰平・国土安穏を実現することができると考えられていたため、為政者である貴族たちは音楽と和歌の習得に励んでいました。
実朝が和歌を詠み始めたのは、朝廷と渡り合わなければならない幕府のトップ・鎌倉殿として、必要不可欠なことでした。
吐槽箱 4
#1 - 2022-10-16 22:41
柊つかさ (君と目指す彼方へ)
#2 - 2022-10-17 22:50
TGLin
#2-1 - 2022-10-23 16:35
Stephen9755
其实是有相关史料的,可参见https://b23.tv/zZRtYSo
#2-2 - 2022-10-23 17:11
TGLin
多謝您提供的資料