ep.38 時を継ぐ者
时长: / 首播:2022-10-02
逆転の一手! 平賀朝雅の擁立
『吾妻鏡』元久2年(1205)閏7月19日条によると、牧の方(りく)が悪だくみを考え、三代鎌倉殿である源実朝を廃し、自身の娘婿である平賀朝雅を新たな鎌倉殿に擁立しようとしているというウワサが、鎌倉に流れたと記されています。
平賀朝雅は、源氏一門である平賀義信の子で、母は頼朝の乳母・比企尼の娘です。父・義信は源頼朝から重用され、朝雅は頼朝の猶子でもありました。北条と比企との対立が深まり、建仁3年(1203)9月2日に比企能員の乱が起こりますが、前年に母が亡くなっていた朝雅は北条に付き、討伐軍にも加わっています。その後、京都守護として上洛した朝雅は後鳥羽上皇から重用され、藤原定家の日記『明月記』によると、後鳥羽上皇から伊賀国の知行国主に任じられています。
劣勢となった時政・りく夫妻にとって、朝廷とも良好な関係を築いていた平賀朝雅は勝負の切り札となりえる人物でした。
逆転の一手! 平賀朝雅の擁立
『吾妻鏡』元久2年(1205)閏7月19日条によると、牧の方(りく)が悪だくみを考え、三代鎌倉殿である源実朝を廃し、自身の娘婿である平賀朝雅を新たな鎌倉殿に擁立しようとしているというウワサが、鎌倉に流れたと記されています。
平賀朝雅は、源氏一門である平賀義信の子で、母は頼朝の乳母・比企尼の娘です。父・義信は源頼朝から重用され、朝雅は頼朝の猶子でもありました。北条と比企との対立が深まり、建仁3年(1203)9月2日に比企能員の乱が起こりますが、前年に母が亡くなっていた朝雅は北条に付き、討伐軍にも加わっています。その後、京都守護として上洛した朝雅は後鳥羽上皇から重用され、藤原定家の日記『明月記』によると、後鳥羽上皇から伊賀国の知行国主に任じられています。
劣勢となった時政・りく夫妻にとって、朝廷とも良好な関係を築いていた平賀朝雅は勝負の切り札となりえる人物でした。
吐槽箱 3
#1 - 2022-10-3 00:36
柊つかさ (君と目指す彼方へ)
#2 - 2022-10-21 00:17
奥柏伦亲王 (善良比聪明更重要)
#3 - 2023-1-22 13:31
喝稀剥壳 (烦透了,三次元)