ep.17 助命と宿命
时长: / 首播:2022-05-01
木曽義仲追討による恩賞
『吾妻鏡』〈寿永3年(1184)4月10日条〉によると、3月27日に除目があり、木曽義仲を追討した恩賞として源頼朝が正四位下に叙されました。これは、天慶3年(940)3月9日に平将門を討ち取った藤原秀郷が六位から従四位下に昇進した先例に倣ったものです。頼朝も秀郷と同様に、坂東にいたまま勲功の賞を与えられました。また、もう一つの恩賞として、平家の都落ち後に没収され、義仲に与えられていた一部の平家没官領(没収した平家方の所領)を与えられたようです。頼朝は、敵方から奪った所領を御家人たちに与えることで、より強固な主従関係を築いていきます。
ちなみに、九条兼実が記した日記『玉葉』〈寿永3年(1184)2月20日条〉によると、恩賞を打診した後白河法皇に対して頼朝は、「上のお計らいに従うだけであり、過分の恩賞は辞退する」と殊勝な返答を行っていたようです。
木曽義仲追討による恩賞
『吾妻鏡』〈寿永3年(1184)4月10日条〉によると、3月27日に除目があり、木曽義仲を追討した恩賞として源頼朝が正四位下に叙されました。これは、天慶3年(940)3月9日に平将門を討ち取った藤原秀郷が六位から従四位下に昇進した先例に倣ったものです。頼朝も秀郷と同様に、坂東にいたまま勲功の賞を与えられました。また、もう一つの恩賞として、平家の都落ち後に没収され、義仲に与えられていた一部の平家没官領(没収した平家方の所領)を与えられたようです。頼朝は、敵方から奪った所領を御家人たちに与えることで、より強固な主従関係を築いていきます。
ちなみに、九条兼実が記した日記『玉葉』〈寿永3年(1184)2月20日条〉によると、恩賞を打診した後白河法皇に対して頼朝は、「上のお計らいに従うだけであり、過分の恩賞は辞退する」と殊勝な返答を行っていたようです。
吐槽箱 3
#1 - 2022-5-2 09:25
柊つかさ (君と目指す彼方へ)
#2 - 2022-5-3 05:28
Stephen9755
#3 - 2023-1-7 20:20
喝稀剥壳 (烦透了,三次元)