2023-3-18 11:18 /
不知道哪里出了问题,字的格式老是出bug,只好重开一篇。上一篇日志还因为敏感词被搞屏蔽了,也不想去排查是哪个词了(bgm41)


「そこらのクラブラッパー」の歌詞は幼稚園児の作文レベルのレトリックで、歌えばオートチューン頼り。それに対してR-指定は、広辞苑十冊クラスの語彙力を武器に、意味を掛けたライミングを重ねる。
(広辞苑は何冊あっても内容は同じだから、載ってる単語数は変わらないけれども。それを言うのは野暮だ。)
那些club rapper歌词的修辞水平如同幼儿园小朋友的作文,唱的时候还得依靠Auto-Tune。与之相对的,R-指定用他堪比十本《辞海》*的词汇量作为武器,并在韵律上叠加种种含义。(*《广辞苑》,日本最有名的日文辞典之一。)
(无论有多少本,《广辞苑》里的内容都是一样的,里面收录的单词数量并不会变。这里的说法很狂妄。)


バスケで例えれば、奴らがファンブルしてる隙に俺は3Pシュートを決めるくらいのモンで、ラップの種類で言えばマンブルラップとスピットほど違う。
奴らは正解「っぽい」ラップに走り努力を怠ったウサギで、俺は地道に力を蓄えて一歩一歩進んできたカメ。
観客に笑ってもらうために作られたリズムネタと見紛うほどのクオリティの奴らのラップと、芸事として昇華される俺のラップ。
以篮球作比,我们之间的差距就如同他们还在漏球时我已经能投进三分球;而就说唱的类型而言,就像Mumble rap(嘟哝饶舌)和Spit*之间的区别。(*スピット:spit,原意为“吐唾沫”,在HIPHOP中淡化了“唾沫”的印象,而指有灵魂的、用心的说唱。)
他们是追求着“像”正确答案的rap而疏于努力的兔子,我则是脚踏实地、稳步前行的乌龟。
他们的说唱质量不过是只为搏观众一笑的“节奏笑梗”,而我的说唱则升华为一种技艺。


病状に例えるなら、奴らは所詮HIPHOPの流行病に罹患しているだけ。俺はMAKI&TAIKI feat. Mummy-D& ZEEBRA「末期症状」よろしく「マイク握らずにいられぬ衝動」に突き動かされ、HIPHOPに骨の髄まで浸かっているのだ。
以病症作比,那些人不过是患了HIPHOP的流行病。而我像MAKI&TAIKI feat. Mummy-D& ZEEBRA「末期症状」中所唱的那样,被“没法不握麦克风的冲动”所驱使着,HIPHOP已深入我的骨髓。

歌詞を綴るときは、ああでもないこうでもないと紙に書いては消し、書いては消しを繰り返し、机の上にはその副産物として消しカスかわ積み上がっていく。
奴らとの違いが今分からないとしても、十年後、その消しカスの山の頂上に登って麓のクラブラッパーたちを見下ろし、己の力量を実証していくつもりだ。
在拼凑歌词时,我在纸上反复地书写,但内容并不能令自己满意,写了擦、擦了写,其副产品是桌上堆积起来的橡皮屑。
即使现在不知道“那些人”和我的区别,十年后我也会爬到那堆橡皮屑山的顶端,俯瞰山脚下的club rapper们,证明我的实力。


「幼稚園児の作文」「広辞苑十冊分」で[o-ieni/auun]で完踏み。
幼稚園児の作文(youchienji no sakubun)」「広辞苑十冊分(koujien jyuu satsubun」是[o-ieni/auun]的全押韵。
第一次听到这句真是倒吸一口凉气,神押啊,太炸了!之后每次听到这句也忍不住要笑出来,颅内冲浪一般的爽感。还有一个让我有类似感受的是R和晋平太在ADERNALINE 2019 FINAL上battle的第五回合,R的“支援(shien) 私怨(shien) 紫煙(shien) SION(shion)”四连押爽到起飞。

「『オートチューンが』/『いくつも意味が』かかってる」という掛詞。
「いくつも」「意味が」でiで頭韻。
「『叠加了Auto-Tune/多种含义」是双关语。
くつも」「味が」也押了i的头韵。



「ファンブルとスリーポイント」「マンブルとスピット」「実証」で[anu-oui/o]で踏んでいる。
ファンブルとスリーポ(fanburu to suri-po)イント」「マンブルとスピット(manburu to supitto)」「実証(jisshou)」押了[anu-oui/o]的韵。

「末期症状」はR-指定のリリックに頻出するワードで、過去にはオリジナルのトラックを借りた「晋平太/末期症状2015 feat. R‐指定」という曲も出している。
「末期症状」是在R-指定的歌中频繁出现的词,之前他出过借用了原创track的「晋平太/末期症状2015 feat. R‐指定」这首歌。

「末期症状」「山の頂上」で[o-o-]で脚韻。
「末期症状(shoujyou)」「山の頂上(choujyou)」押了[o-o-]的脚韵。

「消しカスの山の頂上」は、
何百番煎じ 百も承知
それでもなお俺のペンは止まらないらしい
これは消しカスの山
の上に成り立つドラマ
あの日見過ごしてた感情など
手付かずのまま
何も思うようにならん
未だ凡庸なまま
それも自らだと認めてこそ
始まるドラマ
(Creepy Nuts/リライトより抜粋)
からのセルフサンプリング。
「消しカスの山の頂上」是对Creepy Nuts的「リライト」一曲的自引用。

また、「ウサギとカメ」については、
あのウサギとカメの例のレースは教訓としてアレなケース
勝者敗者いずれにしたってダメ
ウサギはバカで油断しちゃっただけ
ある意味カメはさらにそれ以下
敵のミス待ち ってそれでいいのか?
天賦の才能を弱者代表が打ち負かし格差解消
しようって場面であまりに無策過ぎ
勝算もねぇのに余りにウカツ過ぎ
(RHYMESTER/K.U.F.U.より抜粋)
が真っ先に思い浮かぶ。
此外,“龟与兔”让人首先想到RHYMESTER的K.U.F.U.一曲。

しかし、「Rがカメを自称しウサギを倒そうとする」スタンスの生業と、「ウサギもカメもいずれにしたってダメ」だとするK.U.F.U.とでは、あまりにスタンスが違いすぎる。
よって、この部分はサンプリングではなく、純粋にRと雑魚とを比較したラインだと解釈した。
然而,“R自称为乌龟并试图打败兔子 "的职业态度与K.U.F.U.中所唱的“无论是乌龟还是兔子都不够好”的态度有很大的差别。因此,这一段并不是引用,我认为这纯粹是R和“小喽啰”之间的对比。


奴らはオートチューンありきで曲を作り、自身の音程の取れなさを誤魔化している。オートチューンやガイドボーカルが無ければ聴けたもんじゃない。
他们通过写滥用Auto-Tune的歌,来掩盖自己糟糕的音准。这些东西如果没有Auto-Tune和录音领唱不就没法听了吗。

奴らが親から授かり受けた生来持っている声質、ラップに適したキーは、その人にしか持ち得ない高級な一点モノだ。
それを自ら放棄して、平々凡々の低レベルなオートチューンに手を染めてしまうのは親不孝以外の何者でもない。
そんな奴らはスパルタでお馴染みの戸塚ヨットスクールにでもブチ込んで、性根を叩き直してもらうしかない。
他们从父母那里得到了与生俱来的嗓音和适合说唱的音域,这是独属于自己的、顶级的东西。
如果他们自己舍弃掉这些东西,而着手于平庸的、低水平的Auto-Tune,那只能说是不孝。唯一的办法只有是把他们送到以斯巴达式教育著称的户塚帆船学校,让他们改过自新。


「オートチューン」「音の宇宙」「そいつはオートクチュール」「戸塚ヨットスクール」で[(oua)o-ou(u)-u]で脚韻。
オートチューン(o-tochu-n)」「音の宇宙(oto no uchuu)」「そいつはオートクチュール(soitsu wa o-tokuchu-ru)」「戸塚ヨットスクール(totsuka yotto suku-ru)」押了[(oua)o-ou(u)-u]的脚韵。

「泳げそうか?」「溺れそうか?」で[ooe~]で脚韻。
泳げ(oyoge)そうか?」「溺れ(obore)そうか?」押了[ooe~]的脚韵。

「お前の声」「お前のキー」「そいつは」「オートクチュール」「おや不幸」「戸塚」「ヨットスクール」で[o(auo)]で頭韻。
お前の声(omae no koe)」「(o)前のキー」「(so)いつは」「オー(o-)トクチュール」「おや不幸(oya fukou)」「(to)塚」「ヨットスクール」押了[o(auo)]的头韵。

また、「はき違えた」は、「声を吐き違えた」と「オートクチュールを履き違えた」のダブルミーニング。
此外,「はき違えた」是“发错音”和“穿错衣”的同音双关。

前項の「ウサギとカメ」で奴らを陸上生物のウサギ、自らを水陸両用のカメに例えたことと関連して、「泳げそう」「溺れそう」「ビートの波」「戸塚ヨットスクール」と、水関連のワードでライムしている。
この歌詞の中では、水の中で生きることをある種の特殊技能と捉えていて、それをオートチューン無しのストロングスタイルでラップし続けるRのラップ技術に投影している。
与上一段的“兔与龟”相关联,R把那些人比作陆生的兔子,而把自己比作两栖的乌龟,在这一段中用与水相关的词来押韵,如 “游泳”“溺水”“打水拍浪”和“户塚帆船学校”。
在歌词中,R认为依水而生是一种特殊的技能,他把这种技能映射到他的说唱技术中,不使用Auto-Tune并延续着自己强烈的说唱风格。



サウンドクラウド・ラップの説明についてはここに詳しい。
めちゃめちゃ要約すると、サウンドクラウド・ラップの音の特長とは「粗い音質で、ディストーションをかけたベースが目立つハイテンポなHIPHOP」ということだ。
サウスフロリダのラッパー・XXXTentaxionやLil Pumpらがサウンドクラウド・ラッパーの代表格と言える。
Sound cloud rap的详细解释可以在这里找到。简而言之,Sound cloud rap以“粗糙的音质、失真的低音、高节奏的嘻哈”为特征。南佛罗里达州的说唱歌手XXXTentaxion和Lil Pump是Sound cloud rapper的代表。

奴らは流行りのスタイルを間借りして、サウンドクラウド・ラップを目指した音楽をやっている。
那些人借用流行的风格,创作着以Sound cloud rap为目标的音乐。

俺は英語は分からない。けど、奴らの粗悪な音楽は、レゲエで言うところの"Soundboy(≒HIPHOPで言う"wack")"としか思えない出来栄えだし、言い換えれば道端で大衆の前で披露するような大道芸でしかない。
我不懂英语。但他们的音乐如此低劣,只能被认为是雷鬼音乐中所说的 "soundboy"(≈嘻哈音乐中的 "wack",指水平低下的音乐人),换句话说,这不过是在路边的群众面前表演的街头艺术。

"Soundcloud"って、もしかしたら"Soundboy"と"Crowd"を合わせた略語か何かですか?まさか本場の"SoundCloud Rap"を自称してるワケじゃないですよね……?
だとしたら笑止千万だ。
"Sound cloud "是 "Soundboy "和 "Crowd "合成的缩写之类的吗?你不会把自己称作真正的 "SoundCloud Rap "吧......?
如果是,那就太可笑了。


そもそも、ライブ中のトラックに常にガイドボーカルをかけて、自分は歌わずにステージ上で飛び跳ねてるだけって、それはもはやラッパーとは言えない。
ラッパーたる者、そんじょそこらの客の如くキメて踊り狂うのではなく、ちゃんと自分の声で客にラップという芸を届けなければならない。
Rはサイファーやライブで鍛えた肺活量や体力を資本に、普段のライブでも音源レベルのラップを披露し、客の心を動かしている。正真正銘の黒帯、プロフェッショナルでNo.1プレーヤーだ。
だからこそ、ライブで自分の実力の無さが露呈することを恐れてただただ音源を垂れ流す奴らはプロですらない。それの対価としてギャラを貰うなんて以ての外だと断言できる。
说到底,如果你只是在LIVE上的track里加录音领唱,自己不唱歌而只是在舞台上跳来跳去,那你已经不能被称作是rapper。
一个合格的说唱歌手,必须用自己的声音向观众传递说唱艺术,而不是像观众一样只是在那里疯狂舞动。
R以他在cypher和live中锻炼而成的肺活量和体力作为资本,在他平时的现场演出中进行录音室级别的说唱,由此打动观众的心。他是真正的黑带,专业的头号玩家。
正是这样,那些害怕在LIVE中暴露自己能力的不足,而只是简单地播放音源的人,根本不能称作专业人士。而且我断言,这样的人也不可能赚到钱。


「分からへん」「again」「意味はね」で[ae]で脚韻。
「分からへん(rahen)」「again」「意味はね(wane)」押了[ae]的脚韵。

「Soundboy」「ガイドボーカル」で[a~o]で不完全韻の頭韻。
Soundboy」「ガイドボー(gaidobo-)カル」押了[a~o]不完全韵的头韵。

「レベル」「合ってる」で[eu]で音を合わせ、「ラップ」「合ってる」で[a/]でも踏んでいる。
「レベル(beru)」「合ってる(teru)」在[eu]上发音相同,「ラッ(ra )プ」「合っ(a )てる」也押了[a/]的韵。

「芸じゃねぇ」「声出せ」で[ae]で脚韻。
「芸じゃねぇ(jyanee)」「声出せ(dase)」押了[ae]的脚韵。

また、「分からへん」「意味はね」「ガイドボーカルのうえ」「客みてえだ」「Ey」の[e]は、小節を(1,2,3,4)と4分割したとき、すべて(4)に合わせて歌われている。きもちいい。
此外,「分からへん(hen)」「意味は(ne)」「ガイドボーカルのう(e)」「客みてえ(tee)だ」「Ey」的[e],将一小节分为(1,2,3,4)四份,并全都在(4)中唱出来。爽到。

「ソレでプロ」「金もらうの」「帯は黒」「Numero Uno」で[uo]で脚韻。
「ソレでプロ(puro)」「金もらうの(uno)」「帯は(kuro)」「Numero Uno」押了[uo]的脚韵。

「しごとしろ」「ズブのシロ」で子音踏みの脚韻。
しご(shigo)としろ(shiro)」「ズブのシロ(shiro)」押了元音的脚韵。

「おれの」「おびは」で三連符(1,2,3)の(1)[o]で頭韻。
「おれの」「Numero」で(2,3)[eo]で脚韻。
れの」「びは」在三连音(1,2,3)的(1)位押了[o]的头韵。
「おれの(reno)」「Numero」在(2,3)位押了[eo]的脚韵。


また、R自身は「帯は黒」、奴らは「白目剥いて喚く」「ズブのシロ」と、彼我の白黒の対比で実力差を喩えている。
再者,R将自己称作“黑带”,把那些人写成“翻着白眼叫唤”“门外汉(小白)”通过彼此的黑白对比来比喻实力的差距。

「Numero Uno」は、Zeebra/I'M STILL NO.1(NUMERO UNO RE-RECORDING)からのサンプリング。
「Numero Uno」是对Zeebra的I'M STILL NO.1(NUMERO UNO RE-RECORDING)一曲的引用。


自身がラッパーであることは不変の事実だ。
ロックフェスだろうが、テレビのバラエティ収録だろうが、深夜ラジオの生放送だろうが、そのスタンスが変わることはない。
「ラッパーである」以上に高尚な存在でもなければ、また同じくそれ以下の卑下するべき存在でもない。
R是一位rapper,这是个不可改变的事实。
不管是出席摇滚音乐节、出演电视综艺节目还是做深夜的电台直播,他的立场从未改变。
他既不比 “做一个说唱歌手”更崇高,也不比这更低贱。


「I'm a rapper」「以下でもないrapper」で[aa/a-]で脚韻。
I'm a rapper」「以下でもない(nai)rapper」押了[aa/a-]的脚韵。


R-指定のラップは、玄人ぶりたい素人には敬遠されることもある。やれポップスに寄りすぎだの、注目されているラッパーだからこそのやっかみだの批判が寄せられることもある。
しかし、ラップを深く知るに従って、リスナーはRの凄さを再確認するのだ。ライブの声量、スタミナ、使えるキーの高低の広さ、リリックの緻密さ、遊び心……。ただラジオでの立ち振る舞いやエピソードトークが上手く、フリースタイルラップバトルで評価されただけの人ではないことに気付かされる。
R-指定的说唱有时会为那些想扮演内行的业余爱好者所回避。人们有时会批评他过于靠近流行音乐,或者嫉妒他作为一个人气很高的rapper。
然而,随着这些人对说唱的进一步了解,听众们会再次认识到R的强大之处。现场演出的声量、过人的精力、宽广的音域、歌词的精致与诙谐.......他们还意识到,R不仅仅是一个在freestyle battle中获得高评价的人,他在电台中的表现和故事杂谈也很棒。


対して、奴らは自分の音源が売れないことへの原因を他者に求める。
客がニワカすぎて自分のパフォーマンスに食いついてくれない?アンダーグラウンド志向だから?別に売れたい訳じゃない?
確かに「アングラ志向だから」という言い訳は便利だ。一見自分のスタイルを貫いているようで格好良く見えなくもないし、数少ない狂信者の前でテキトーにライブしていれば楽しいだろう。
でも、その言い訳に胡座をかいて、ライブ中に声を枯らしているようではプロ失格だ。マイクテストでPAさんとしっかり音の確認をしたのか?発声練習やストレッチはちゃんとしたのか?ハゲタコ。
そんなおざなりなライブをちょびっと披露しただけで客から高いチケ代を募り、その辺の女性ファンを喰い散らかす。それでいて「俺こそリアルでお前はフェイクだぜ」ってツラをいけしゃあしゃあと垂れ流している。その神経が理解できない。
与之相对的,“那些人”把自己的歌卖不出去的责任推给别人。
是观众太挑剔,对自己的表演不感兴趣? 因为他们面向地下?或者因为自己也不想大卖?
“因为我做的是面向地下的说唱”确实是个方便的借口。 乍一看,坚持自己的风格好像很酷,只要能在少数的几个狂热粉面前随意唱唱就很满足了。
但这些借口是安于现状、不思进取的,在LIVE上不发出声音,这就不是个合格的专业人士。 在试麦时,你有和音响师确认过声音是否正常吗?你有好好做发声练习和拉伸吗?你这秃头章鱼*。(*关西的骂人话,不得不说日语的攻击力真不行(bgm38)
就演了一点敷衍了事的LIVE还从观众那里收取高额票价,又将魔爪伸向女粉。这样还能厚颜无耻地摆出 "我是真(rapper),你是假货 "的架势。没懂谁给的你那么大的胆。


こちとら明日もライブなのだ。明日だけと言わず死ぬまでずっとライブをする。
奴らがラップの鍛錬を怠り、ブランディングやファッションブランドのプロデュースに精を出していようとも、俺はたったワンバース蹴っただけでアウェーの会場の心を掴み、ファンを増やしていく。奴らの夢も希望も、嫉妬する心根すらも、このマイクひとつで全て打ち砕いてやる。
而我这明天又要演LIVE了。不仅是明天,我们会一直开LIVE,至死方休。
他们疏于说唱训练而把自己的精力投入到时尚品牌的打造和制作上,而我会赢得观众们的心,只要一段verse就能增加我的粉丝数。仅靠一个麦克风,我将粉碎他们的梦想、希望,甚至他们的嫉妒心。


「に分からん」「に分かる」「にわかな」「言い訳は」で[niwaka]で子音踏み。
「分からん」「アンダーグラウンド」で不完全韻の脚韻。
に分からん(ni wakaran)」「に分か(ni waka)る」「にわかな(niwakana)」「言い訳(iiwake)は」押了[niwaka]的元音韵。
分からん(wakaran)」「アンダーグラウンド(anda-guraundo)」押了不完全韵的脚韵。


「隠れ蓑に」「隠れるより」「やるべきこと」で[aueioi]で返し韻。
隠れ蓑に(kakuremino ni)」「隠れ(kakure)るより(yori)」「やるべきこ(yarubeki ko)と」押了[aueioi]的返し韻。

「ライブですよ」「マイクテスト」「やり直せよ」「枯れてんぞ」そして飛んで「ヤバい原状」で[aiueuo]で返し韻(この部分は次頁まで続く。後述)。
その間に「明日も」「やり直せよ」で[aiao]でも踏んでいる。
ライブですよ(raibu desuyo)」「マイクテスト(maiku tesuto)」「やり直せよ(seyo)」「枯れてんぞ(tenzo)」,然后跳了一段,「ヤバい原状(yabai genjyou)」都押了[aiueuo]的返し韻(这个部分在下一页继续分析。详见后文)。
这其中「明日も(ashitamo)」「やり直(yarinao)せよ」也押了[aiao]的韵。


「15分で」「ぼったくって」「女喰って」「音楽って」「困惑してる」で[o/au/e]で踏んでいる。
また、「ます」「ます」で上の[au]と連動して踏んでいる。
「15分で(hunde)」「ぼったくって(bottakutte)」「女喰って(onna kutte)」「音楽って(ongaku tte)」「困惑して(konwaku shite)る」押了[o/au/e]的韵。
此外,「ます(masu)」「ます」与上面的[au]相关联进行押韵。


「ファッションも」「格好の」で[aoo]で踏んでいる。
「ダッサい」「ワンバース」で[a/a]で踏んでいる。
カラオケで生業を歌うとき、この「お前が~ダッサい」あたりのヨレた三連符のリズム、それに続く「~My pencil」あたりがいちばん苦労する人が多いのではないかと思う。
そんなときは、
「(1)(2)(3)/お まえ が/ひっ し に/かん がえ た/そ の ブ/ラン ディン(グ) や/ファッ ション も/て きと な/かっ こ の/ダッ サい~」
と三連符の符割りに沿って分解してそれぞれ(1)の音にアクセントを付けて歌うといい感じになる。
その後は、「わずか~」「消し去って~」「あまい幻想」の部分にキックの音を合わせて歌うと、ある程度それっぽくなる。
ファッションも(fasshon mo)」「格好の(kakkou no)」押了[aoo]的韵。
ダッサ(dassa)い」「ワンバース(wanba-su)」押了[a/a]的韵。
在卡拉OK唱「生業」的时候,许多人可能对「お前が~ダッサい」这段、其次是「~My pencil」这附近的三连音节奏最感到难以把握。
这时候可以用三连音的分隔符分解歌词,「(1)(2)(3)/お まえ が/ひっ し に/かん がえ た/そ の ブ/ラン ディン(グ) や/ファッ ション も/て きと な/かっ こ の/ダッ サい~」,并在每个三连音的部分把重音放在(1)上,感觉这样会比较好唱 。
之后,「わずか~」「消し去って~」「あまい幻想」可以卡在底鼓(kick)上唱,这样一来就能像那么回事了。

居然还有说唱教学,万分感谢……


話は最初に立ち返る。
「My pencil ~ microphone」を和訳するなら、
「ペンとライムとフロー、それにマイクをくれ」
とでも言えようか。それは、
一本のマイク それだけ
一本のペン それだけ
一枚のペーパー それだけ
これと同じことを表現を変えて言っている。
結局、Rが「生業」を通して言いたいことはこのワンフレーズに尽きるのだ。
必要最低限の道具と、横に相方のDJ松永さえいれば、人を魅了することができる。虚飾や見栄なんか必要ない。
回到最初的起点。
把「My pencil rhyme and flow / give me the microphone」翻译成日语就是“铅笔、韵脚和flow,然后给我麦克风”吧。也就是本首歌的歌词开头换了一种说法。
归根结底,R想通过「生業」说的就是这句话。
只要有最低限度的工具和身边的伙伴DJ松永,就能使观众为之着迷。无需伪饰和排场。


俺は噺家で言えば真打ち、そんなレベルに到達している。
落語とは、[前口上、枕、本題、サゲ]という構成から成っている。
俺のウォーミングアップに過ぎない前口上と、二ツ目・前座レベルの奴らの本気の前説とでも比べてほしくはない。それくらいレベルが違うということだ。
如果以落语艺人作比,我(R)已经达到了演大轴的水平。
落语由“引子、枕词、本题、结尾”构成。我可不想把对于我来说不过是暖场的“引子”,跟二目、前座级别的“那些人”认真的开场白相比较。我们之间就是有这样的差距。


俺はラッパーを生業と決めた。歌詞を書くことがシノギだ。だから、ラッパーとして成長するためにこれだけやる。
身なりはいい、ただの見かけ倒しの奴らは、果たしてここまで出来るだろうか。やれるならやってみればいい。現状、比べる土俵にもないけれど。
我决定把说唱作为生计。书写歌词是我的谋生之道。我做的一切都是为了成长为一名说唱歌手。
我不知道那些衣着光鲜但徒有其表的人是否能真正走到这一步。如果可以的话就试试吧。 不过在目前,没有容我们较量的擂台。


それでも、俺のラッパー人生はまだ始まったばかりだ。この先も右肩上がりにスキルを上げていくためには、幾多の困難が待ち受けているだろう。
(Rが武道館のMCで言っていた通り、)HIPHOPは自分のことを歌詞に書いて歌う音楽だ。もはや当たり前の毎日のルーティンワークとして、まるで日記でも書くような感覚で歌詞を書く。
だから、俺は歌詞を自分が生きた証として書き遺すのだ。
不过,我作为说唱歌手的人生才刚刚开始。在未来不断提高自己技能的路上,我还将面临许多挑战。
(正如R在武道馆的 MC中所说的那样,)HIPHOP是书写自我并唱出来的音乐。这几乎成为了日常作业,写歌词就像写日记一样。
所以,我书写、保存歌词,将其作为自己活着的证明。


前頁の「ライブですよ」「マイクテスト」~のラインに続けて、「甘い幻想」「My pencil」「rhyme & flow」「前説と」で[ai(u)euo]で脚韻。
また、それに関連して「microphone」「前口上」も[aiouo]で踏んでいる。
その後の「まだ~」はそれまでの[ma]と頭韻してアクセントをつけている。
继承前页的「ライブですよ(raibu desuyo)」「マイクテスト(maiku tesuto)」,「甘い幻想」「My pencil」「rhyme & flow」「前説と(maesetsu to)」押了[ai(u)euo]的脚韵。
此外,与此相关联的「microphone」「前口上(maekoujyou)」也押了[aiouo]的韵。
这后面的「だ~」与前文的[ma]押了头韵并放了重音。


「はじまったばかり」「道のりなら長い」「俺の生きた証」「ダイアリー」「生業」で[(oiaa)a-ai]~[aiai]で脚韻。
[a-ai]と[aiai]では踏み外しているように見えるが、[a/ai]の音の位置が合っていること、「ダイアリー」は[aæai]と発音し、[a-ai][aiai]双方とも踏んでいるように聞かせていることから、スムーズに韻として成立させている。
「はじまったばかり(jimatta bakari)」「道のりなら長い(nori nara nagai)」「俺の生きた証(no ikita akashi)」「ダイアリー(daiari-)」「生業(nariwai)」押了[(oiaa)a-ai]~[aiai]的脚韵。
[a-ai]和[aiai]虽然看起来没押上,但[a/ai]音的位置是相同的,且将「ダイアリー」以[aæai]来发音,使[a-ai][aiai]这二者听起来好像押了,由此完成丝滑的韵。


武道館のセットリストは
1. スポットライト
2. 生業
3. 耳無し芳一Style …
という順で始まった。
ふたりはメジャーデビューアルバム「クリープ・ショー」のラストで提示した、
I'm a No.1 player 元ベンチウォーマー
(Creepy Nuts/スポットライトより抜粋)
という謳い文句に違わず、序盤から体力を大きく消耗するセルフボースティング曲×2を歌い上げた。
武道馆LIVE按1. スポットライト2. 生業3. 耳無し芳一Style …的顺序开演。如二人主流出道的专辑「クリープ・ショー」的压轴曲所唱的一样,“I'm a No.1 player 原板凳球员”,开场就连唱了两首self boasting的歌。

今年、DJ松永が若林正恭著『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』の「解説の場を借りた個人的な手紙」に認めた
俺は誓いました。あなたのように生々しく生きていこうと。自分の為に。ただそれだけ。
というメッセージは、DJ松永、ひいてはCreepy Nutsふたりの自身の生き様に対する誓約文で、武道館の大スクリーンに映し出されたふたりの汗と涙は、その誓約文の血判のように思えた。
そして、これからもCreepy Nutsを応援していく上で、ふたりの悲喜交々を自分の人生に投影して、また生きていく糧にしていくのだろうと感じた。
今年,DJ松永在若林正康的『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』一书的「解説の場を借りた個人的な手紙」中自白“我发誓。我将像你一样活得生动。为了自己。仅此而已。”这样的句子,不仅是DJ松永,也是Creepy Nuts二人对自己生存方式的誓言。在武道馆的大屏幕上,二人挥洒的汗水和泪水如同这条誓言的血印。
而当我继续关注、支持Creepy Nuts时,也将把他们的悲欢喜乐投射到自己的生活中,并以此作为活下去的精神食粮。

(好羡慕,有生之年想去看Creepy Nuts的LIVE。在这之前我得提升自己到配听他们现场的水平……)

だからこそ、今後もふたりの活動を見せてもらうために願うことと言えば、「健康でいてくれれば良いです。」
正因如此,我对此二人今后的活动仅有一言期望:惟愿健康。


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这文章长得我怀疑人生,暂时不会再做翻译了,下次一定先算算原文的字数……总归是翻完了,虽然费了很长时间,中途一直要停下来补各种知识,还是学到了一些东西的吧。文章是各种不通顺,也有不完全理解的地方,感觉自己好弱!还有很多要学的啊!
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