#1 - 2024-9-21 16:22
仓猫
『極彩の夜に駆ける君と、目に見えない恋をした。』短編小説
就職活動

国際展示場駅の人の多さにあっけにとられていた。

七月とはいえ、もう真夏日といっていいほど暑かった。炎天下の中、リクルートスーツを着ていることもあって、ジャケッ卜の下はサウナのようだった。早瀨が「タオルと飲み物、絶対に必要だからね』って言っていた理由がわかった。僕は滝のように出る汗をタオルで拭った。

東京ビッグサイ卜の中はいくぶんか冷房が効いていたけれど、人の熱気からか、全体的にむわっとしていた。

世界物流に興味がある方はぜひ! 企業ブースから声がする。

説明を聞いていいですか! 学生側の声もする。

「すげえ……」

声を漏らすと、となりの早瀨が「ほら、ぽけっとしないで行くよ!』と僕の背中を叩いた。

そして早瀬はずんずん人だかりの隙間を縫うように進んでいく。

それこそテレビコマーシャルを流している企業は事前予約制で、すでに多くの学生は、そういう有名企業の説明会に参加する権利すらない。それでも聞いたことがあるようなメーカーや、ゲームやマスコミ関連企業には人だかりができているし、僕が知らないだけの優良企業っぽい所にも就活生が吸い寄せられるように人だかりができていた。

早瀬はそんな人だかりに果敢に突っ込んでいって、「ぺンフレットもらっていいですか!」と企業から茶封简を受け取っていく。

すげえ。目がマジだ。

他の就活生を見ても、不安な瞳の中に、どこか必死めいたものを感じる。

「早瀬ってもういくつも内定もらってなかったっけ」

「もらってるけど、まだ知らない企業もあるしそれに空野くんと約束したじゃん。はいこれパンフレット。あげるから確認しておいて」

早瀬はこの前バイト先で連れて行ってくれると約束したことを律儀に守ろうとしてくれているようだ。

「まじでありがとう。今度、生協で駄菒子でもおごるよ」

「対価にしては安すぎない?」

つっこむ早瀬は笑っていた。

すでに三社から内定を勝ち取っている就活強者の早瀬といくつか企業プースを回っていった。

そして昼前には「早めに昼ご飯を食べておこう」と、混み始める前にビッグサイト内の飲食スペースでコンビ二おにぎりを食べていた。

「企業一覧を見て、どこか気になるところはある?」

「気になるところ?」

うん、と早瀬はゼリータイプの携行食をちゅうちゅう吸っている。

「まじでないんだよね」

「え。じゃあ、就活の軸は?」

「就活の……じく?」

よっほど僕がほかんとしていたのだろう。そこからかー、と早瀨は天を仰ぐ。

「こういうところに就職したいってことだよ。こんな業界に入りたい、こんな仕事がしたい、やりたい仕事がなくても、とにかく給料がいいでもしいいし、休みが多いでもいいよ」

「……極論、働きたくないもんな」

「こ、は、る、ちゃ、ん、は、ど、う、す、る、の!」

リズミカルにテープルを叩く早瀬。

「そうだよなあ……」

「親友の彼氏が就職しなくて匕モ暮らしになったら嫌だよ、私は」

「ずっごい辛辣だな」

ジト~って早瀬が見てきた。

「事実でしょ」

まあ、そうならない可能性もゼロじゃないわけで。

「どうしようか。軸か~。早瀬はどういう軸で就活してるの?」

「私は、人のためになるような仕事を選んだよ」

「例えば?」

「ーT関係も受けたし、雑詰の編集とかも受けたな、イペント関連の企業も受けたし、あ、おもちゃメーカㄧも受けた。ジャーナリストもかっこいいなーっ思ってアナウンサーに応募したけど書類で落ちた」

落ちたって言いながら笑っている早瀬。いろんなことがあったんだろうけど、最終的に笑えるなら、なんかいいなって思った。

「人のためになる仕事か~」

ペットボトルの蓋をひねって緑茶を飲んだ。おにぎりを食ペたせいか、それとも歩き回ったせいか、とにかくお茶がうまかった。

「なんとなく」

お茶を飲んでリラックスしたおかげか、頭の中にふと、小春の笑顔が浮かんだ。

「なんとなく?」と早瀬。

「小春みたいな人にも、やさしい会社がいいな」

「そういう製品を作っているところ?」

「いや、どんな人でも笑って働いている場所に、なんとなく、会社の一員になるなら、そんな会社に入りたい」

そっか、と早瀬は微笑む。

「空野くんらしいね」

*

こうして僕の就職活動は本格始動した。

どこでもいいから面接の練習と思って受けてみなよと早瀬のアドバィスに従って、下調べもせずに、先日参加した就活イペントでバンフレットをもらった企業ヘ面接のエントリーをしてみた。

どうやら面接の前に書類審査があるようで、エントリーシートなる書類を企業に提出する必要があるようだった。

各社エントリーシートの様式は違えど、記載する内容は似通っていた。

志望動機、学生時代がんばったこと、挫折した経験、あなたの強み·弱みなどなど。

インターネットで各社のエントリーシートをダウンロードして、パソコンで編集し、面接の申し込みに添付する。その流れで各社へのエントリーを行う。

結構、大変だった。

下書きを書いてコビペしたとしても、一社エントリーするのに一時間くらいかかる。

下書きにない設間がくると、うう、と悩んで一問答えるのに数時間かかる。

寮の自室でパソコンに向かいながら頭を抱えたことは何度もあった。

大学一年のときに買ったノートパソコンは、ウウウとすごい音を立てる。

この就活が終わるまでは壊れないでくれ~、と何度も祈った。

祈った甲斐があって、パソコンは壊れなかった。

しかし、企業にエントリーしても、書類審査で落とされていた。

『応募書類をもとに慎重に選考しましたところ、誠に残念ではございますが、今回はご期待に添いかねる結果となりました。空野様のこれからのご活躍を心よりお祈り申し上げます』

大体の企業から送られるメール文面はこんな内容だった。これが有名なお祈りメールか~と思いつつ、あまりにも同じ文面が送られてくるものだからインターネッ卜で調ペた。お祈りメールの例文集、みたいなサイトを発見して、「これで送っているのか~」と唸ったほどだ。

同時に、何時間もかけた苦労が無駄になったことにどっと疲れてしまった。

さすがにまずい、と思ってエントリーシートの書き方を調べると、九割は枠内を埋めましようとあり、自分のエントリーシートの中身がいかにス力ス力だったかを知った。

「九割か~」

つぷやきながら寮のベッドに倒れ込んだ。

「そんなに書くことないよ~。自分の人生なんて」

そう思いながらこれまでの人生を思い返してみる。

浮かんでくるのは小春の笑顔だった。


*

エントリーシートを九割埋める。

それだけを信条になんとか長文を記載して企業にエントリーすると、なんと一社、一社、と一次面接に進む企業が出てきた。

面接ってどんなことを聞かれてどんなことを答えるのか?

さすがにわからなすぎてインターネットで調べた。

服装からドアのノックまでいろいろ作法があるようだった。

「まるで社交界だな」

丸の内のオフィス街でビルを見上げると首が痛くなった。

夜は摩天楼に変わる昼間のビル群を見て、ここで何千もの人が働いているのか~と、想像をしたが、スケールが大きすぎていまいちビンとこなかった。

リクルートスーツを着て、集合時間までに指定の場所に向かう。

こんな迷路みたいな街で迷ったら遲刻するなと、指定時間より早く出た僕は、一時間前に目的のビルの前についてしまった。

カフェに入って適当に時間を潰した。

カフェは他の就活生っぼい人たちが何人かいた。

履歴書を取り出して、ぶつぶつと面接で話すことをおさらいしているように見えた。

アィスコㄧヒーを片手に席につき、僕もみなに膨って履歴書を取り出す。

御社を志望した動機は~、とか、私の強みは~、とか、事前に用意した台詞集を心の中で復唱していく。

やばい、練習すればするほど緊張してきた。

人生初の面接か~、とか思いながら、そういえばバイトを始める際に面接があったことを思い出した。あのときは、「どのくらいシフト入れる?」くらいしか話していない。就職面接でもそのくらいで内定がもらえればいいのに、なんて考えた。

時計をちらりと見て、十分前になったので、僕は決戦の場に向かった。

就活生が集められた部屋で少し待った。緊張からか後ろの首筋がつつばる感覚があった。

やばいやばい、こんなに緊張していたら口が回んない

そして、僕の名前が呼ばれた。

名前が呼ばれた瞬間、心臟が止まりそうだった。ばくばくばくと心臓の音が体の外に漏れそうなほど鼓動が強い。

「ほ、はいっ」と声が裏返っていたし、緊張で手に汗がにじんだことも、喉がつっかえる感覚があることも意識できた。

初面接……失敗しないことだけ意識しよう、そう深呼吸して面接に向かう。

専門店でそろえた「フレッシャーズ就活応援リクルートスーツ」一式に身を固めた僕はドアをノックした。「どうぞ」と返答があって息を吸う。「失礼しまあ~す」とのぞき込むようにドアを開けた。女性の面接官一名、テㄧブルを挟んで座っている。僕の履歴書っほい書類が並んでいる。長机の前に椅子がある。あれに座れということか。失礼します、と再度断って椅子に座った。

すると面接官がくすくすと笑って

「今度から、着席くださいと言われるまで椅子の横で待つ方がいいですよ」

と指摘された。

これでテンバってしまい、「ごめんなさい!」と立ち上がってしまったほどだ。

「いえいえ気にしないでください、どうぞ座って」

面接官がやさしく言う。

「では面接を始めます。まず、志望動機から教えていただけますか」

それから頭が真っ白になって、「あ、あの」とか、「えーっと」とか、しどろもどろになってしまった。

極めつけには、

「では、あなたの強みについて教えてください」

と聞かれ、

「強みですか……」

事前に用意した台詞がすべて消えた、頭は真っ白だった。

一秒、二秒、三秒と沈黙が続いた。

面接官はにこにこしながら、僕の返答を待っているようだけど、直感的に思う。

あ、これ落ちたわ。

と。

何か言わなきや、何か言わなきや、と悶々と考える。

そして、もう消化試合としてャケになってしまったのだろう。

開き直った僕は。

「幼い頃から、人の顏色を窥うことは得意です」

と、短くも反応に困ることを口走っていた。

案の定、面接官も苦笑いだった。


面接が終わって、オフィスを出るとどっと疲れてしまった。

あまりにもメンタル消費が激しい。脇が汗で濡れている。

面接前に時間を潰したカフェでひと休みしてから帰ろうって、店内に入ると、見知った顔が涼しい顔でストローを咥えていた。

「あれ、早瀬」

リクルートスタイルの早瀬は面接前なのかエントリーシートのコビーを読んでいる。

「あ、空野くんじゃん」

「おつかれ~」

「どこか面接してきたの?」

「そこのビルの七階。早瀬も面接?」

「うん。三十分後にあそこの八階」

「疲れた~」

「もしかして初面接?」

「初面接。もう頭真っ白になって上手く話せなかった」

「まあ最初はそんなもんだよ」

「志望動機とか、もうわけわかんないよな」

脳が疲れ切っていて、カフェラテにシロップをふたつ入れて糖分補給する。ストローで吸うと、底に沈んだシロップが口の中に入った。甘すぎて鼻血が出そうになった。

「就活って、こっちは大学卒業するからどこかに就職しなきゃくらいで考えているのに、何を話していいか全然わらない。あなたの強みってなんですかって、これまでの人生で一度も意識したことがないし」

ひとりで黙々と就活をしていたからか、これまでの愚痴が口をついて出た。

早瀬は「まあそう思うよね」と笑う。

「私もたくさん面接したけど、私のことなんて私が知りたいぐらいだよ」

「けど、面接で話すんだろ」

早瀬はカフェ特有の妙に高くて座りにくい椅子を座り直して僕を直視した

「ねえ、私のいいところってなんだと思う?」

「え。急になに」

「というか、私ってどういうふうに見えている?」

「おせっかい?」

そういうと、早瀬は目を丸くして、あっはっは、と笑った。

まあそう見えるよね、と言って続ける。

「けど、昔の私はそうじゃないし、昔はこんなにアクティプになれなかった。元は陰キャなんだよ、私って」

「そうなん?」

「うん。ただ大学でがんばっただけ。だから、面接で『ボランティアやつてました』とか『百分から動くのが得意です』とか言ってもいつも疑問が残ってる。私ってなんだろうって、ぐるぐる考えて、わけわかんなくなるよね。就活って」

そんなことを言う早瀬は、最後にこう言って締めた。

「けどまあ、こんなことを自信満々に言ったもん勝ちなんだよ」

「もうプロじゃん」

「テロってなによ」

「攻略法を見つけてるって感じじゃん。それってすげえ賢いじゃん」

「そんなことを言われるのは初めてだな~。もっと褒めていいよ」

「じゃあ、そんな早瀬様に僕のエントリーシート見て、つつこみどころがあれば教えてくださいまし」

仕方ないな~とおどける早瀬に、僕が用意したエントリーシートのコビーを渡すと、早瀨はくすくすと笑った。

「今度、ちゃんと添削してあげるよ」

「え。変なこと書いてある?」

「そういうわけじゃないんだけど、空野くんらしいなあ~って」

「なんだよそれ」

早瀬は自分の抹茶ラテをひと口飲んで

「就活ってね」

と、にこりと笑う。

「うそつきが勝ち上がるようになっているんだよ」

「うそも方便ってこと?」

「面接が進んだら、弊社が第一志望ですか? って絶対聞かれるから。そんなわけないじゃん。こっちだっていつばい受けているんだから。そこで、第一志望です、って言い切れる人が残るんだよ」

「すごく試されている感じだな」

「けどよくよく考えると、仕事でも咄嗟にそんなひと言を言わないといけない日がくるのかもね。間違ってるって思っても、これが会社の意見ですって」

「うわあ……きっつ」

「結局は自分を良く見せた人が『なんか良さそう』って内定を取っていくの」

そんな達観したことを早瀬は言う。

だから私は得意なんだろうね。

そう、自嘲しているように見えた。

「だから、あのとき、うそをついちやったのかな」

さみしそうに、早瀬は言う。

僕の視線に気づいてか、目が合うと、ぱっと笑った。

「空野くんって'意外と正直者だもんね」

「意外ってなんだよ」

そうつっこむと「正直な方が、恋がうまくいくってことかな」って、早瀬はまた笑っていた。


*


「ねえ、僕の強みってなんだと思う?」

いつもの月島の散歩道にて小春にそんなことを聞いてみた。

企業の選考に挑むには、まずエントリーシートなる陳述書にて、書類審査を受ける必要がある。そのエントリーシートに志望動機などを書くのだが、必ずと言っていいほど、「あなたの強みはなんですか」と問うてくる。

強みとはなんぞや……体力D、精神力E、忍耐力C……と、自分をバラメータ化して考えてみても、特段これといつたものは思いつかない。

考えがぐるぐるして、禅問答かと思ってしまった僕は小春に相談することにしたのだ。

きっと僕のことを理解してくれていると、期待を受けた小春の第一声は、

「え」

え、だった。

僕の反応も、

「え」

え、だった。

沈黙が流れる。沈黙を埋めるようにミンミンとセミが鳴いている。

「……ない、の?」

たまらず聞くと、小春は「違うんですよ」と顏の前で手をひらひらと振った。

「強みというか、いいところがいつぱいあるのに、なんで聞くんだろうって思っちゃって」

そんなことを言われて気恥ずかしくなる、恥ずかしさをごまかすように冗談っぼく返してしまった。

「ほほう。じゃあ、僕のいいところ十個言える?」

そういうと、小春は指を折りながら、

「やさしいところ。助けてくれるところ。声がすてきなところ、手があたたいところ。リードしてくれるところ。かっこいいところ」

「ちょっと待って」

きよとんとした小春が顔をこっちに向ける。

「いや、あまりにすらすら出るから恥ずかしくなってくる。それにかつこいいってなんでわかるの」

だって、と小春は言った。

「だって、かけるくんはかっこいいですよ」

そう微笑む小春に顔が熱くなった。

見上げると、夜空には雲ひとつなかった。

小春のやさしい声がした。

「就職活動で『自分の強み』を書くんですよね」

「そう」

「私にも分け隔てなく接してくれた、そういうところが、ほかの人と比ペると強みなんじゃないかなあって思います」

そう、僕が意識していないことを、小春は言ってくれた。

なんだろう、胸の奥があたたかくなった。

*

ランチ時間を過ぎた大学の食堂はがらんとしていた。

添削してくれると約束していた通り、早瀬は僕に就活指南をしてくれていた。

早瀬と向き合うように座って、エントリーシートを添削してもらうことにした。

「うん。書いていることは空野くんの人柄を表していていいと思うよ。この前よりよくなっているけど、どうしたの?」

「小春と……ちょっと話をして」

愛の力だね~、と早瀬は茶化してくる。

「愛ってなんだよ」

その言葉を無視して、あとはテクニックだね、と早瀬は続ける。

「テクニック?」

「結論から書くといいんだよ。たとえば……」

たとえば「あなたの強みを教えてください」という間いに対して、「私の強みは〇〇です」と結論から書いて、そのあとに補足を入れる。要約すると、そういうテクニックがあるそうだ。

「その結論をマジックで目立つように太字で書くの。そうしたら、ほかの就活生より目立つし、読みやすいよね」

「ほ~!」

さすが就活強者。僕からは一生出てこないような超絶技巧を教えてくれる。

「ありがとう。書いてみるよ」

「だいたいのところは書類で落ちることはなくなるんじゃないかな」

「そう思う?」

「障がい者雇用に力を入れている企業の一員として、だれもが働きやすい環境を僕もつくりたいって、ほかの学生は書かなそうだもん」

まず会って、どんな青年か見てみたいよね。私が面接官なら。

そんなことを早瀬は言う。

「早瀨も就活を終わりにしたのに、付き合ってくれて、マジ助かる」

「いいよ、別に」

「ィベント会社に入るんだっけ」

「そう。ィペントとか、街中広告とかWEBコマーシャルとか、手広くやってる会社なんだ。みんなが知らない製品を知って、使って、人生が豊かになれば最高だよね」

就職を決めた人閒は解き放たれてこんなにイキイキするのだろうか。早瀬の目は輝いていた。

「早瀬の就職祝いも、みんなでしないとな」

「え。してくれるの? うれしいなあ」

そこでふと思う。聞いていいのだろうかと逡巡してしまった。

「鳴海も呼んでいいんだよね?」

そう言うと、早瀬は困ったように笑った。

「空野くんって、それずっと気にするよね」

「だって……」

「私たち、本当にきれいに別れたの。『明日から友達ね、はい解散!』みたいに」

「そうなんだ」

「聞いていない?」

「鳴海って、そういうこと言わないだろ」

「まあ言いそうにないね。本当にいい人だよね、鳴海くん」

早瀬はそんなことをつぶやいた。


それから早瀬に面接の練習も付き合ってもらった。

早瀬が面接官で、僕が答える。

もうテンパったり頭が真っ白になったりしないくらい、何度も何度も、台詞を復唱した。

早瀬の協力もあり、それから八月にかけて就職活動は順調に進んでいった。書類審査突破、一次面接も突破して、いくつかの企業で二次面接をしてもらえるようになった。


*


専門店でそろえた「フレッシャーズ就活応援リクルㄧトスーツ」一式に身を固めた僕はドアをノックした、「どうぞ」と返答があって息を吸う。「失礼します」と元気よく言ってからドアを開ける。着席くださいと言われるまで椅子の横に立つ。どうぞ、と着席が許された。

目の前には若い女性と初老の男性、ふたりの面接官が長テープルについて、履歴書やエントリーシートを見ている。

第一志望の会社の二次面接。

物流倉庫を運営する会社で、会社情報には障がい者雇用にも力を入れ、だれもが働きやすい環境を、と説明があった。そこに共感を覚え、僕はこの会社に入りたいと考えるようになった。

「じゃあ、まず志望動機から話してもらえますか」

女性の面接官が口を開く。緊張から喉の奧が詰まる感覚がした。けど、事前に準備した志望動機をすらすらと話すことができた。障がい者雇用に力を入れている企業かつ、大学で学んだ知識を活用するには、御社しかないという論法だ。

「学科は流通情報学科なんですね」

「はい、座学ではございますが、物流についてはひと通り学んでいます」

「卒業生の方も弊社は多く入社しているんですよ」

「はい、私もその一員になれたらうれしいです」

にこりと女性の面接官は笑う。男性側は何やら履歴書にメモをしている。

胃に穴が開きそうだった。緊張からか、えずきそうになった。なんとかこらえた。社交的に社交的に、そう意識してずっと笑顏をつくる。自分でも表情が硬いことがわかる。

「なぜ、障がい者雇用に力を入れている弊社に興味があるんですか?」

「実は……」

小春の話をした。彼女が目が見えないこと。けれど僕たちより自由に生きていること。そんな彼女を尊敬していること。そういうことがあって、偏見のない会社に身を置きたいこと。

そういう話をした。

なぜだろう。小春の話をすると、自然に笑えている気がした。

脳裏には、いつも笑っている小春の顔が浮かんでいた。

メモをしていた男性がようやく口を開いた。

「そんな彼女と、よく付き合おうと思ったね」

一瞬、何を言われたかわからなかった。

そして、段々と理解が追いついていった。

は?

口に出しそうだった。

「ちょっとそれは」

女性の方も焦って男性面接官を制止する。

「え、えっと、では、学生時代にがんばったことと、自分の強みについて教えてください」

聞き間違いだよな。

そう思うことにしようとして、我慢しようとした。

けど、結局、できなかった。

「っていうか聞き間違いじゃないよな!」

「空野がそう聞こえたなら、そう言われたんやない?」と鳴海。

バイト先の調理場で鳴海に愚痴っていた。あの面接官に言われたことを思い出すと、また腹が立ってくる。鳴海はいつものようにパスタを作っている。僕はフラィャーに冷凍の白身魚のフライを投げるように入れたら高温の油が跳ねて、一瞬ひやっとした。

「なんだよ、人の彼女に対して『よく付き合おうと思ったね』って」

「まあ、ふつうにひどいよな」

「だよな!」

「けど、いい感じに面接できとったんやろ? その場で喧嘩ってよくないで」

結局、「その言い方はないと思います」って声を上げてしまった、そして、辞退しますと部屋から出てしまったのだ。

それだけ、許ㄝなかった。

馬鹿にされた気がした、小春が馬鹿にされた気がした。

「あ~、早瀬がうそも方便って言ってたの、こういうことだったのかなあ」

なんやねんそれ、と鳴海が笑っている

「あれから面接も不調で僕も祈られまくりなんだよ。そろそろ教祖になりそう」

「教祖ってなんやねん」

歯を見せて笑う鳴海は、「それよりパスタ持っていってくれる」とパスタを渡してきた。

「ちょっとフラィャー見といて」

「おう」

キッチンからホールに出て、パスタを持って行く

もう閉店間際だけどお客さんがまだいた。

そのときだった。お客さんがきたので接客に向かった。

「いらっしやいませ。開いている席にお座りください、って、早瀬と、小春?」

ふたりを見て、思わず唖然としてしまった。

「どうしたの?」

「どうしたのじゃないよ! 空野くん、私に言うことは?」

「え、え。急にどうした」

怒っている早瀨の顔。早瀬は別のところで飲んできたのか、少し目が据わっている。

「せっかく上手くいきそうな面接で、辞退だって? 小春ちゃんから聞いたよ! そのあたり、きっちり説明してもらうから! 座って待ってるね!」

小春ちゃん行くよ!

って、早瀬は小春を連れてずんずん進んでいく。

「かけるくん、ごめんなさい!」

ペこりと頭を下げる小春。

ごゆっくり~って言うと、早瀬がくるりと回ってこっちを見てきた。

「あ、空野くん!」

「お客さま、店内は少しお静かにお願いできますと」

「とりあえずハイボールね!」

はいはい、ってキッチンに戻る。

「なんや、騒がしいやん」

そういう鳴海に、「早瀨と小春が来たよ」って言う。

「しかも早瀬、もう酒が入ってる」

「ほんまあいつは」

鳴海も苦笑いだった。

「なあ」

「ん?」

ちょっと、ずっと聞きづらかったことを鳴海に聞いてみた。

「鸣海たち、その、……別れたのに、気まずいとかない?」

そう、鳴海と早瀨は以前付き合ったことがある、そして三ヶ月くらいですぐに別れた。

元カノってどういう気分なんだろうって、僕にはわからなかった。

小春と別れることは想像がつかない。

もしそういうことになったら、きっと、ひと目見るだけでも苦しくなるんだろうなと思う。

そんなことを考えても、

「なん。そんな気にすることやないで。今でも友達やし」

と、鳴海はいたって普通だった。

「おーい! 空野くーん!」

早瀬の声がした。このまま無視してやりたいけど、放置すると他のお客さんに迷惑だ。

「行ってやり」

鳴海も言うので、仕方ないから行くことにした。

「なんざんしょ」

態度が良くなかったのか、早瀬は眉根を寄せた

「もっと愛想よくできないかね。客商売だよ~」

「もしクビになったら早瀬のせいだから」

「えっとねー。たまごサンドとミルクティーと、このトマトパスタひとつ」

「無視かい」

クビになったら早瀬のせいは無視された。

小春は困ったように笑っていた。

「急におしかけてしまって、ほんと申し訳ないです」

「まあ来たのならゆっくりしていってよ。たまごサンドはひと口大に切るね」

「ありがとうございます」

注文を終えた僕は、またキッチンに戻る。そして鳴海に言った。

「オーダー、たまごサンドとミルクティー。あと適当にトマトパスタひとつ作ってあげて」

「適当ってなんやねん」

そう鳴海は笑って、手際よくパスタを茹でて、トマトを切り始めた。

僕はパンにバターを塗って、たまごのペーストを準備する。

「小春が食べるなら、おいしく作りたいな」

そうつぶやくと自然とにやけてしまった。

それから客が少なくなった時間帯を見計らって、鳴海と早瀨と小春とだペっていた。

だべっていても早瀬はひとりで飲んでいて、

「ばい、ハイポール一丁お待たせしました」

持って行くと、

「ちゃんと濃いめ?」

って、眉聞に皺を寄せられる始末。

もう、これ中身完全におっさんじゃん、って思った。

「バィトをクビにならない程度にちやんと濃くさせていただいております」

そう深々と頭を下げると、小春が笑っていた。セリフだけで笑わせられてうれしくなる。

「お、じゃあ一緒に飲む? おごるよ?」

とか言い出す早瀨。

「遠慮しとくわ」「遠慮しておきます」

僕と鳴海の声がかぶると、小春はまたわっと笑ってくれた。

そして、早瀬の呂律はすつかり怪しくなっていった。

で、小春と早瀨、何の話をしていたのか聞いてみたところ、早瀨は爆弾発言をした。

「小春ちやんが気にしてくれたみたいで、私と鳴海くんが付き合ってた話~。私も鳴海くんと、小春ちゃんと空野くんみたいになれるかな~って思って、付き合ったんだけどね。ふたりで運命じゃないって気づいて、別れたの」

「……鳴海、いいのかよ」

早瀬を指さして鳴海を見ると、鳴海は右手で顔を覆っていた。

「もうこうなったらしゃーないやろ」

と鳴海。まあ察しはついているかもしれんけど、と続けた。

「三ケ月ぐらい付き合ったんやけど、ぜんぜん友達のときと感情が変わらなかったんよ。手をつないだらドキドキもせんやった」

「ねえ、ひどくない? 私と手をつないで、『ドキドキせんなあ』って言ったんだよ、こいつ」

「早瀬も『私もしないな』って笑っとったやん」

なんだそれ、って笑うと、早瀬はさみしそうな顔をしていた。

「なんだかんだ私ら、運命じゃなかったんだよ」

と、早瀬は続けた。

「どう見ても運命で結ばれているふたりは、うらやましいなあって思うよ」

「運命ってなんだよ」

聞くと、

「運命は運命だよ」

って、早瀨は酒のせいか、顔がとろんとしていた。

とにかく! と早瀬は酒をあおった。

「しあわせになりなよ」

ありがとうって言うと、

「小春ちやんをしあわせにするのは義務なんだからね! その前に就職! でどうするのさ!」

って、話が戻ってきた。

そうだよな。まずは就職だよな。

そう思うと、そういえばメールが一通届いていたことを思い出した。

「ちょっと待って、さっき就活サイト経由でメールが来てたから」

「関覓を許す」と早瀬。

「ご厚意、まことに感謝いたします」

「なんやねん」と鳴海。

くすくすって小春は笑っていた

いつものやりとりにほっこりしながらメールを見る

と、「えっ」って、声が漏れてしまった。

「どうしたんですか?」と小春が心配そうな声を出す。

そのメールには信じられないことが書いてあった。

「面接辞退した企業からさ、謝罪したいからどこかで会えないかってメールが来た」

*

門前仲町駅の上にある喫茶店で、その人と会うことにした。

あの面接官が来るのか。そう思って待ち合わせてみると、めちゃめちゃナイスなダンディがいた。

え。ひげ、めっちゃ似合ってない? って感じのダンディ。

ダンディオプダンディな人だった。

「何か飲まれますか?」

「いえ……」

「遠慮しないでください」

「じゃあ、アィスコーヒーで」

ダンディさんはアィスコーヒーをふたつと注文してくれた。

僕は知らない大人との対面に心臓がバクバクだった。

相手はずつと落ち着いている様子だった。

「申し遅れたけど、本田と言います」

ダンディは胸ボケットから名刺入れを取り出して、すっと名刺をくれた。

そこには、僕が辞退したあの会社の名前と、「執行役員 本田邦彦」とある。

「……役員さんだったんですか」

「本当は次の面接で、私は空野さんと面接するはずだったんだ」

「面接は辞退して、すみません」

僕は深々と頭を下げる。

「けど、僕がわるいと思っていません」

相手の目を見て言うと、本田さんは「あっはっは」と大きな声で笑った。

「そりゃそうだよ。あれは私たちがわるかった。完全に空野さんは正しいよ」

そう言って、今度は本田さんが頭を下げた。

申し訳なかったと。

「そして、これは言い訳になるけど」

そう前置きして話を続けた。

障がい者雇用を推進していることは確かだが、まだ社員教育は十分ではないと痛感している。役員として誰もが活躍できる会社を、という創設者の思いを実現したい、と説明してくれた。

そして

「だから、毅然と『おかしい』と主張できる空野さんに、私は入社してほしい」

そう微笑みながらも、真剣な目をして僕を直視してくれた。

「それを言うために、会いに来てくれたんですか?」

「会社は『人』だがらね、入社してほしい人がいたらどこでも口説きに行くよ」

それが僕の役割、と本田さんは笑う。

「正直言うと、ありがたいなと思っています。けど、あのとき、どうしても許せなかった感情は事実で、どう整理をつけていいのか混乱しています」

「本当に申し訳ないことをしたと思っているよ」

また、深々と頭を下げる本田さんを見て、ふと思う。どこの会社に入っても、どんな社会にいたとしても、ごういうことは多々あるんだろうって。うん。大切な人を傷つけられるような言動をきっとたくさん目にしていく。そのたび僕は腹を立てるのだろうか。

「頭を上げてください」

——そう、きっと僕は。

「不適切な発言をした面接官の方って、どの方かわかっていますか?」

きっと僕は、そのたびに腹を立てるのだ。

「僕の彼女……小春っていうんですけど。本当、人と違うところって、目が見えないだけで、心は本当に強いんです。本当につらい場面でも、いつも笑顔でいられる、強さがあるんです」

簡単には許せなくて、間違っていると思って、ちゃんと怒る。どうでもいいことには器用で、こういうことには不器用で、そんなふうに生きていくんだと思う。ぜんぶ器用に生きられたらとは思う。思うけど、小春のことだしなあ、と思った。

「だから、本田さんが今後、どうしたいのか、どうしていくのか教えてください」

本田さんは目を丸くして一瞬驚いたような表情をした。けれど、すぐ凛とした顔に戾って、会社をどうしていきたいのか具体的な話をしてくれた。採用や教育、オフィス環境などなど、こんな入社前の大学生に、真摯に話してくれた。

無自覚な悪意はどこにもある。みんな、うまく目をそらして生きていくんだろう。間題だとか、変えたいとか、そんなことを思う人は、ときには「面倒な人」とさえ思われる。そう思われようとも前に進む力のある人は、きっと……きっと、こんなかつこいい顔をするんだろうな、と本田さんを見て思った。

「今日はありがとうございます」

僕は腹をくくる。

「口説き落とされました」

と。

「御社にお願いしてもよろしいですか」

そう、深々と頭を下げると、本田さんは「よかった」とやさレく微笑んでくれた。

なんだか急に体の力が抜けて、テㄧブルのアィスコーヒーに目がいった。ふたりともひと口つけただけで、全然減っていない。

「ここの喫茶店、来たことがありますか?」

本田さんも肩の力が抜けたのか、フランクな感じになっていた。

「いや。初めてだよ、空野くんは?」

「僕もずっと来たことがなかったので初めてです、コーヒーゼリーがおいしいって大学のクラスメイトが話していました」

「じゃあ、それを頼もうか。あ、こ二こは私が持つから」

「え。いいんですか」

大丈夫、と本田さんは笑って、コーヒーゼリーを頼んでくれた。

それから少し本田さんと話をした。

小春の病気のことは伏せて、花火の話や、大学の話もした。

「はは、大学で打ち上げ花火ってすごいねえ」

「もう恒例行事になっていますよ。来年のスポンサー募集中です」

いい彼女なんだね~、と本田さんは言って、

「そういうこと、知れてうれしいよ。言葉が適切かわからないけど、やはり、どうして付き合おうと思ったのか、なぜ彼女なのか、気にはなっていたから」

と、続けた。

それを聞いてふと思う。この前の面接官……こういう意味で言っていたんじゃないかって。

本田さんを見る。

「君はかしこいね」

「いえ。ということは、僕……」

「いや、世の中には言い方というものがあるから。君は間違っていない」

すみません、と背中を丸くすると、「それより彼女の話教えてよ」とまた笑った。

この人も笑顏が似合う人だ。

「さつきも言いましたけど、いつも笑うんです。目が見えないとか関係なくて、つらくても、周りが明るくなるくらい、笑うんです」

だから尊敬しているんでしょうね、と続けた。

すると本田さんは、

「尊敬しあう気持ちが一番だよ、ね、聞いちやうけど、結婚はしたいの?」

「け、結婚ですか」

僕が驚くと、本田さんが微笑みながら教えてくれた。

「結局、運命なんだよ」

「運命ですか?」

「この人と結婚したいなって思ったら、した方がいいよ。後悔が少ない」

本田さんは少し目を伏せる。

「僕は婚期を逃したからね」

苦笑いをする本田さんの手には指輪はなかった。

《就職活動 了》