フィクションとは、まだ存在していないけれど、
未来に存在しうる現実の可能性を探り出すものだ
フューチャリズム=未来志向を再起動するために、
著者が若い世代に向けて論じたサブカルチャーによる世界認識の方法
――目次――
はじめに
【第一回】〈サブカルチャーの季節〉とその終わり
●〈オタク〉から考える日本社会
●サブカルチャーと戦後社会
●サブカルチャーの時代の到来
●カリフォルニアン・イデオロギーの登場
●サブカルチャーの時代の終焉
●いま、サブカルチャー的な思考を経由する意味
●「オタク」と「カワイイ」の戦後日本
●〈自動車〉と〈映像〉が二〇世紀の社会を作り上げた
●戦後日本のネオテニー性の投影としてのオタク文化
【第二回】 「週刊少年ジャンプ」の終わりなき日常
●戦後日本と男性性の問題
●「アトムの命題」
●トーナメントバトル形式による擬装された成長
●九〇年代半ばに噴出した「トーナメントバトル形式への疑念」
【第三回】 「ジャンプ」の再生と少年マンガの終わり
●樹林伸と「マガジン」の逆襲
●網棚のジャンプ、ラーメン屋のマガジン、漫研のサンデー
●『るろうに剣心』と歴史の終わり
●『銀魂』と戦後日本
●「縦に伸びる」のではなく「横に広げる」アプローチの『ONE PIECE』
●カードゲーム的な価値観の導入︱『遊☆戯☆王』
●「力比べ」から「知恵比べ」へ︱『ジョジョの奇妙な冒険』『DEATH NOTE』
●ゼロ年代「ジャンプ」の総決算としての『HUNTER×HUNTER』
【第四回】 補論:少年マンガの諸問題
●『バクマン。』の七峰くんは本当に「悪」なのか?
●高橋留美子とさまよえる男性性
【第五回】 坊屋春道はなぜ「卒業」できなかったか
――「最高の男」とあたらしい「カッコよさ」のゆくえ――
●『クローズ』とヤンキーマンガのカッコよさ
●坊屋春道は「卒業」できない
●「成長」から「モラトリアムの楽しさ」へ︱『頭文字D』
●少年マンガは「ビジョン」を示せていない
【第六回】 〈鉄人28号〉から〈マジンガーZ〉へ
――戦後ロボットアニメは何を描いてきたか――
●戦後日本で奇形的な進化を遂げた「乗り物としてのロボット」
●男の子が「ミリタリー」に見た夢︱『鉄人28号』
●「乗り物としてのロボット」と成長願望︱『マジンガーZ』
●おもちゃとロボットアニメの蜜月関係
【第七回】 富野由悠季とリアルロボットアニメの時代
●ロボットアニメにリアリズムを持ち込んだ『無敵超人ザンボット3』
●『機動戦士ガンダム』はロボットの意味を変えた
●「三角関係のBGM」としての最終戦争︱『超時空要塞マクロス』
●ガンダム以降のロボットアニメ︱『装甲騎兵ボトムズ』『聖戦士ダンバイン』
【第八回】 宇宙世紀と「大人になれないニュータイプ」
●「キレる若者」カミーユが迎えた衝撃の結末︱『機動戦士Zガンダム』
●成長物語を露悪的に否定した『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』
【第九回】 戦後ロボットアニメの「終わり」のはじまり
●ロボットの意味が脱臭された『機動警察パトレイバー』
●戦後ロボットアニメの総決算『新世紀エヴァンゲリオン』
●九〇年代半ばに臨界点を迎えたロボットアニメ
【第十回】 碇シンジとヒイロ・ユイの一九九五年
●ロボットアニメを書き換えた一九九五年の『新機動戦記ガンダムW』
●『聖闘士星矢』から『鎧伝サムライトルーパー』、そして『ガンダムW』へ
【第十一回】 「世界の終わり」はいかに消費されたか
――〈宇宙戦艦ヤマト〉とオカルト・ブーム――
●冷戦下のリアリティと『宇宙戦艦ヤマト』が描いたもの
●「SFであることの意味」を脱臭した松本零士アニメと第一次アニメブーム
●SFに代わって浮上した「オカルト」というモチーフ
【第十二回】 教室に「転生戦士」たちがいた頃
――「オカルト」ブームとオタク的想像力――
●つのだじろうとサブカルチャーとしての「心霊」
●八〇年代オカルトブーム絶頂期と『ぼくの地球を守って』
●「核戦争後の未来」をモチーフにした『風の谷のナウシカ』『北斗の拳』
●超能力描写と終末感を合流させた『AKIRA』
【第十三回】 ラブコメと架空年代記のはざまで
――『完全自殺マニュアル』と地下鉄サリン事件――
●八〇年代ラブコメの空気と『きまぐれオレンジ☆ロード』
●八〇年代末の宮﨑勤事件と過去最大のオタクバッシング
●『完全自殺マニュアル』『終わりなき日常を生きろ』に見る八〇年代の時代精神
●様々な世界宗教やサブカルチャーのガジェットをミックスしたオウム真理教
●オウム真理教の暴走と「世界ではなく自分を変える」思想の敗北
●地下鉄サリン事件、『新世紀エヴァンゲリオン』、Windowsの一九九五年
【第十四回】 ナデシコとウテナ︱第三次アニメブームの風景
●『機動戦艦ナデシコ』と『少女革命ウテナ』︱第三次アニメブームの双璧
●アニメで近代文学的な内面を描こうとした『少女革命ウテナ』
【第十五回】 「セカイ系」と『機動戦士Vガンダム』の呪縛
――戦後アニメーションの描いた男性性――
●「結末でアスカにフラれないエヴァ」としてのセカイ系作品群
●戦後アニメの自己破壊としての『機動戦士Vガンダム』
【第十六回】 セカイ系から日常系へ
――〈涼宮ハルヒ〉とオタク的想像力の変質――
●涼宮ハルヒの本音
●プレ『涼宮ハルヒ』としての『リンダ リンダ リンダ』
●新しいタイプのオタクの自画像としての『らき☆すた』
●理想化された日常を描いた『けいおん! 』
【第十七回】 震災後の想像力とアニメの未来
●オタクのカジュアル化と『電車男』のヒット
●『マクロス』の光景を現実化させてしまった東日本大震災
●〈現実=アイドル〉が〈虚構=アニメ〉を追い越した
●「世界の終わり」が終わった後にアニメーションは何を描くべきか
【第十八回】 日本的〈アイドル〉の成立と歌番組の時代
●「アイドル」は日本にしかいない?
●七〇年代草創期のアイドルたち︱キャンディーズ、ピンク・レディー、山口百恵
●八〇年代アイドルブーム全盛期︱松田聖子、中森明菜、小泉今日子
【第十九回】 角川三人娘とおニャン子クラブ
●斉藤由貴、南野陽子、浅香唯を世に送った『スケバン刑事』
●「テレビアイドル」へのカウンターだった角川映画と薬師丸ひろ子、原田知世
●おニャン子クラブの衝撃とアイドルブームの終焉
●九〇年代、拡散していくアイドルシーン
【第二十回】 〈メディアアイドル〉から〈ライブアイドル〉へ
――情報環境の変化とAKB48のブレイク――
●歌謡曲的なアプローチを復活させたモーニング娘。
●Perfumeは地方アイドルだった
●AKB48はなぜブレイクできたのか
【第二十一回】 AKB48は〈戦後日本〉を乗り越えられたか
●ブレイク期のAKBを象徴する「大声ダイヤモンド」「RIVER」
●ドームコンサートと前田敦子の卒業で迎えた最初のクライマックス
●下克上のAKBを体現した指原莉乃と「恋するフォーチュンクッキー」
●〈ライブアイドル〉から〈メディアアイドル〉へ回帰していくAKB
●ブレイク後のAKBに立ちはだかる「戦後日本の芸能界」という壁
●AKBによって活性化した一〇年代アイドルシーン
●欅坂46「サイレントマジョリティー」に込められた大衆批判の意図
【最終回】 文化のノスタルジー化と三次元化する想像力
●〈情報〉から〈体験〉〈コミュニケーション〉へ
●三国志で考える現代J‒POPの勢力図
●ノスタルジー化する音楽・映像産業
●コンピュータによって「世界を変える」ことが再び可能になった
●「実際に変形できるもの」を作るデザイナーたち
●「虚構」の二つの役割
●日本のマンガ・アニメに脈々と受け継がれていたフューチャリズム
おわりに
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未来に存在しうる現実の可能性を探り出すものだ
フューチャリズム=未来志向を再起動するために、
著者が若い世代に向けて論じたサブカルチャーによる世界認識の方法
――目次――
はじめに
【第一回】〈サブカルチャーの季節〉とその終わり
●〈オタク〉から考える日本社会
●サブカルチャーと戦後社会
●サブカルチャーの時代の到来
●カリフォルニアン・イデオロギーの登場
●サブカルチャーの時代の終焉
●いま、サブカルチャー的な思考を経由する意味
●「オタク」と「カワイイ」の戦後日本
●〈自動車〉と〈映像〉が二〇世紀の社会を作り上げた
●戦後日本のネオテニー性の投影としてのオタク文化
【第二回】 「週刊少年ジャンプ」の終わりなき日常
●戦後日本と男性性の問題
●「アトムの命題」
●トーナメントバトル形式による擬装された成長
●九〇年代半ばに噴出した「トーナメントバトル形式への疑念」
【第三回】 「ジャンプ」の再生と少年マンガの終わり
●樹林伸と「マガジン」の逆襲
●網棚のジャンプ、ラーメン屋のマガジン、漫研のサンデー
●『るろうに剣心』と歴史の終わり
●『銀魂』と戦後日本
●「縦に伸びる」のではなく「横に広げる」アプローチの『ONE PIECE』
●カードゲーム的な価値観の導入︱『遊☆戯☆王』
●「力比べ」から「知恵比べ」へ︱『ジョジョの奇妙な冒険』『DEATH NOTE』
●ゼロ年代「ジャンプ」の総決算としての『HUNTER×HUNTER』
【第四回】 補論:少年マンガの諸問題
●『バクマン。』の七峰くんは本当に「悪」なのか?
●高橋留美子とさまよえる男性性
【第五回】 坊屋春道はなぜ「卒業」できなかったか
――「最高の男」とあたらしい「カッコよさ」のゆくえ――
●『クローズ』とヤンキーマンガのカッコよさ
●坊屋春道は「卒業」できない
●「成長」から「モラトリアムの楽しさ」へ︱『頭文字D』
●少年マンガは「ビジョン」を示せていない
【第六回】 〈鉄人28号〉から〈マジンガーZ〉へ
――戦後ロボットアニメは何を描いてきたか――
●戦後日本で奇形的な進化を遂げた「乗り物としてのロボット」
●男の子が「ミリタリー」に見た夢︱『鉄人28号』
●「乗り物としてのロボット」と成長願望︱『マジンガーZ』
●おもちゃとロボットアニメの蜜月関係
【第七回】 富野由悠季とリアルロボットアニメの時代
●ロボットアニメにリアリズムを持ち込んだ『無敵超人ザンボット3』
●『機動戦士ガンダム』はロボットの意味を変えた
●「三角関係のBGM」としての最終戦争︱『超時空要塞マクロス』
●ガンダム以降のロボットアニメ︱『装甲騎兵ボトムズ』『聖戦士ダンバイン』
【第八回】 宇宙世紀と「大人になれないニュータイプ」
●「キレる若者」カミーユが迎えた衝撃の結末︱『機動戦士Zガンダム』
●成長物語を露悪的に否定した『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』
【第九回】 戦後ロボットアニメの「終わり」のはじまり
●ロボットの意味が脱臭された『機動警察パトレイバー』
●戦後ロボットアニメの総決算『新世紀エヴァンゲリオン』
●九〇年代半ばに臨界点を迎えたロボットアニメ
【第十回】 碇シンジとヒイロ・ユイの一九九五年
●ロボットアニメを書き換えた一九九五年の『新機動戦記ガンダムW』
●『聖闘士星矢』から『鎧伝サムライトルーパー』、そして『ガンダムW』へ
【第十一回】 「世界の終わり」はいかに消費されたか
――〈宇宙戦艦ヤマト〉とオカルト・ブーム――
●冷戦下のリアリティと『宇宙戦艦ヤマト』が描いたもの
●「SFであることの意味」を脱臭した松本零士アニメと第一次アニメブーム
●SFに代わって浮上した「オカルト」というモチーフ
【第十二回】 教室に「転生戦士」たちがいた頃
――「オカルト」ブームとオタク的想像力――
●つのだじろうとサブカルチャーとしての「心霊」
●八〇年代オカルトブーム絶頂期と『ぼくの地球を守って』
●「核戦争後の未来」をモチーフにした『風の谷のナウシカ』『北斗の拳』
●超能力描写と終末感を合流させた『AKIRA』
【第十三回】 ラブコメと架空年代記のはざまで
――『完全自殺マニュアル』と地下鉄サリン事件――
●八〇年代ラブコメの空気と『きまぐれオレンジ☆ロード』
●八〇年代末の宮﨑勤事件と過去最大のオタクバッシング
●『完全自殺マニュアル』『終わりなき日常を生きろ』に見る八〇年代の時代精神
●様々な世界宗教やサブカルチャーのガジェットをミックスしたオウム真理教
●オウム真理教の暴走と「世界ではなく自分を変える」思想の敗北
●地下鉄サリン事件、『新世紀エヴァンゲリオン』、Windowsの一九九五年
【第十四回】 ナデシコとウテナ︱第三次アニメブームの風景
●『機動戦艦ナデシコ』と『少女革命ウテナ』︱第三次アニメブームの双璧
●アニメで近代文学的な内面を描こうとした『少女革命ウテナ』
【第十五回】 「セカイ系」と『機動戦士Vガンダム』の呪縛
――戦後アニメーションの描いた男性性――
●「結末でアスカにフラれないエヴァ」としてのセカイ系作品群
●戦後アニメの自己破壊としての『機動戦士Vガンダム』
【第十六回】 セカイ系から日常系へ
――〈涼宮ハルヒ〉とオタク的想像力の変質――
●涼宮ハルヒの本音
●プレ『涼宮ハルヒ』としての『リンダ リンダ リンダ』
●新しいタイプのオタクの自画像としての『らき☆すた』
●理想化された日常を描いた『けいおん! 』
【第十七回】 震災後の想像力とアニメの未来
●オタクのカジュアル化と『電車男』のヒット
●『マクロス』の光景を現実化させてしまった東日本大震災
●〈現実=アイドル〉が〈虚構=アニメ〉を追い越した
●「世界の終わり」が終わった後にアニメーションは何を描くべきか
【第十八回】 日本的〈アイドル〉の成立と歌番組の時代
●「アイドル」は日本にしかいない?
●七〇年代草創期のアイドルたち︱キャンディーズ、ピンク・レディー、山口百恵
●八〇年代アイドルブーム全盛期︱松田聖子、中森明菜、小泉今日子
【第十九回】 角川三人娘とおニャン子クラブ
●斉藤由貴、南野陽子、浅香唯を世に送った『スケバン刑事』
●「テレビアイドル」へのカウンターだった角川映画と薬師丸ひろ子、原田知世
●おニャン子クラブの衝撃とアイドルブームの終焉
●九〇年代、拡散していくアイドルシーン
【第二十回】 〈メディアアイドル〉から〈ライブアイドル〉へ
――情報環境の変化とAKB48のブレイク――
●歌謡曲的なアプローチを復活させたモーニング娘。
●Perfumeは地方アイドルだった
●AKB48はなぜブレイクできたのか
【第二十一回】 AKB48は〈戦後日本〉を乗り越えられたか
●ブレイク期のAKBを象徴する「大声ダイヤモンド」「RIVER」
●ドームコンサートと前田敦子の卒業で迎えた最初のクライマックス
●下克上のAKBを体現した指原莉乃と「恋するフォーチュンクッキー」
●〈ライブアイドル〉から〈メディアアイドル〉へ回帰していくAKB
●ブレイク後のAKBに立ちはだかる「戦後日本の芸能界」という壁
●AKBによって活性化した一〇年代アイドルシーン
●欅坂46「サイレントマジョリティー」に込められた大衆批判の意図
【最終回】 文化のノスタルジー化と三次元化する想像力
●〈情報〉から〈体験〉〈コミュニケーション〉へ
●三国志で考える現代J‒POPの勢力図
●ノスタルジー化する音楽・映像産業
●コンピュータによって「世界を変える」ことが再び可能になった
●「実際に変形できるもの」を作るデザイナーたち
●「虚構」の二つの役割
●日本のマンガ・アニメに脈々と受け継がれていたフューチャリズム
おわりに

补标。还算有趣,最后大篇幅的akb48对非真人偶像宅来说有点煎熬。
图书馆找半天没找着《零零年代》,退而求其次就读这本吧//可读性不错,随便一翻就看完了。分析思路和观点大体还可以,分成漫画、动画、偶像三个模块按时间顺序论述,阅读体验边际递减明显,越到后面就愈发觉得把所有作品一股脑地扔进“改变世界/改变自我意识、并非此处的某个地方/此时此地、无止尽的日常”等框架里加以解释是很有抹煞作品自身特殊性的危险的(计划看的Z高达还被透完了,有点气)偶像什么的完全不懂啊,感觉全是作者的私货//对“御宅族”这个词我向来没有太多认同感,叫“二次元”可能还更容易接受些,倒不如说,中国(甚至日本)真的(还)存在“御宅族”吗?
补标。服了你们偶像痴
补标一下,现在床边书架上还有这本书。宇野在这本书里的分析总有一种,先摸出框架,再用具体文本去迎合的味道,所谓先射箭再画靶,理论剖析的深度和力度的确不如东浩纪,但就易读性确实还不错,个人这里差不多和《动物性2》持平吧。至于主题,主要讲的就是那一套,什么御宅族的“男子气概”啦,什么无限推延状态啦,什么世界系和空气系啦,以文化专题为轴成文,但更多的还是对于御宅族精神的系谱式分析,最后下了个幼态成熟的结论。御宅族早已不是那些会上街游行的革命者,也不再是带有刻板印象的与世隔绝者,而是越发趋同于社会主流为之吸收,大概这也是说亚文化而不是宅文化的原因吧。然而个人更倾向于从本体论角度出发去看二次元作品,创作者主观能动性/商业因素决定的制作现场/具体文本的细节,这些同样也很重要。宅文化无论如何流变,总要有对它保持乐观的人存在才得以存续。
https://zh.singlelogin.re/book/28079961/cd0d05/%E7%BB%99%E5%B9%B4%E8%BD%BB%E8%AF%BB%E8%80%85%E7%9A%84%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%9A%E6%96%87%E5%8C%96%E8%AE%BA.html
主视点是御宅亚文化与战后男性气质的关系,可以看出《母性敌托邦》的影子。正文部分确实很浅显,大一导论课的水平,最让人眼前一亮的其实是前言部分的宣言:御宅族文化已经死了,现在是加州意识形态支配的世界。醍醐灌顶,感觉很多问题一下子都想通了。原来,如今的年轻世代已经不像90年代那样消沉闭塞,只希望割断与社会的连接,躲进自己的心象世界当中,笃定改变世界不如改变自己,甚至一度沉迷于超能力、神秘学、灵修、世界末日等幻想元素。如今的年轻世代是加州乔布斯们影响下的一代人,他们在网络中看到了改变世界的巨大力量,更渴望成功,更渴望与他人连接,以至于二刺螈也成了一种社交时尚单品。原来,御宅族的时代已经结束了