CMJK

  • 别名: 北川潤
  • 生日: 1967年8月21日

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    职业: 音乐人

    宮城県仙台市出身。テクノバンド「Cutemen」での活動を一旦終了し、耳夫と高橋が脱退した後の1990年に電気グルーヴに加入。電子楽器のプログラミングと作曲を担当した。本名は北川潤(きたがわ じゅん)。CMJKの名前は電気グルーヴ加入後につけられたものである。卓球、瀧と同じく芸名で活動することを要求された事から、しぶしぶ考案し名乗るに到ったという。そこで尊敬するDJ「カット・マスター・スウィフト」に肖り「カット・マスター・ジュン・キタガワ」、略してCMJKとした。現在もこの芸名は使用され続けており、今となっては本名よりもこちらを好むという。これがもし考え付かなかったら、メンバーから「ゲンゴロウマル」という芸名がつけられるところであった。アルバム『FLASH PAPA』発表後は電気グルーヴを脱退。その理由に関しては、当時マスコミによってメンバーとの不仲説などいくつかの憶測が囁かれていたが、実際のところは人気グループの一員として楽に活動し、定期的に印税を受け取り、既成のロックバンド的プロセスを踏んでいく事に対し疑問を抱いた結果、いちダンスミュージック・プログラマーとして折り合いをつけた末の決断だったとファンクラブの会報では語っている(マスコミ向けに行った脱退会見では、全裸で会見に臨んだ卓球と瀧をバックに「もうこんな奴等とはやってられません」とコメントしている)。後に「ザ・インタビューズ」上では、1stアルバム「フラッシュ・パパ」レコーディングの為マンチェスターに赴いた際、隣のスタジオで作業をしていたCANDY FLIPとの出会いが契機であったと語っている。
    このあとピコリンとCutemenとしての活動を再開し、さらに元M-Ageの梶原裕司と共にCONFUSIONを結成。それと同時にゴッサムシティ、CT.SCAN、ALEX, incの変名でも活動。卓球や砂原と共に1990年代のジャパニーズテクノシーンの一翼を担う。『キーボードスペシャル』誌での連載「CMJKのGROOVE CONTROL(グルコン)」は、砂原良徳による「まりんのキーボードスペシャル」と並んで、若手クリエイターに支持された。
    バンド活動終了後は膨大な数のアーティストのプロデュースや作曲、アレンジを続けている。その主な顔ぶれは浜崎あゆみ、佐野元春、少年隊、PENICILLIN、V6、ユースケ・サンタマリア、猿岩石、キャイ〜ン、篠原ともえ、KICK THE CAN CREW、東京パフォーマンスドール、FLIP-FLAP、片瀬那奈、THC!!、「マクロスプラス」(サウンドトラック参加)など多数。2000年には、「バーチャルガール」のオープニングテーマをはじめとするサントラ CD の作成も手がけた。自身のクラブイベント「BOO」でもDJとして活躍している。バンドを脱退したものの現在もメンバーとの付き合いは続いており、電気グルーヴ10周年企画アルバム「The Last Supper」にも参加した。
    近年では不定期ながらCMJK名義でソロライヴも行なっており、Cutemenのピコリンをゲストヴォーカリストに迎えてライヴパフォーマンスを展開している。

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