神威 神威

  • 简体中文名: 神威
  • 别名: 神威号水上机母舰
  • かもい
  • Kamoi
  • 性别:
  • 体重: 軽荷排水量:5,702英トン/満載排水量:19,550英トン/総トン数:10,222総トン
  • BWH: 全長:151.79 m/水線幅:20.42 m/深さ:11.58 m/吃水:満載平均8.53 m
  • 引用来源: wikipedia
  • 图鉴编号: 162→299→300
  • 画师: アキラ

推荐本条目的目录

    / 更多目录

    谁收藏了神威?

    全部收藏会员 »
    給油艦として建造された「神威」です。
    米国で生まれ、その後水上機母艦に改装されました。
    水上機収容用ハイン式マットは思ったより便利ではなかったけれど……。
    最終的に飛行艇母艦となり、輸送作戦に従事しました。
    戦いの前は、米艦と共に女性飛行家の捜索も頑張りました。
    北海道神威岬の名前を頂いた私のことも、覚えていてくださいね。

    給油艦
    神威はニューヨーク・シップビルジング社で、給油艦として建造された。電気推進艦研究のため、アメリカに発注された。当時、アメリカ海軍はレキシントン級航空母艦等の大型艦艇でも電気推進式を採用しており、日本海軍は米海軍の動向に注目していた。 1922年(大正11年)12月10日、アメリカからの航海を終えて徳山に到着。 続いて横須賀に回航され、12月15日に到着。

    水上機母艦
    「能登呂」が第一次上海事変で活躍したため、急遽本艦も1932年(昭和7年)末から翌年2月にかけて水上機母艦に改装された。改装内容は能登呂とほぼ準じた形であるが、艦形が更に大きいため搭載機数は常用6機、補用6機となっている。また給油艦としての機能もそのまま残されていた。この時は特務艦籍のままだったが、1934年(昭和9年)6月1日に軍艦籍に編入、「軍艦 神威」と改名され、水上機母艦に類別された。
    1933年(昭和8年)末に当時ドイツで実用化されたハイン式マットを装備し、航行しながら水上機を収容できるようにした(従来は艦を停止させて収容)。しかしあまり実用的でなかったらしく、1939年に撤去された。
    1939年(昭和14年)、飛行艇母艦へ改装、搭載機を降ろす。大戦中は航空隊移動輸送などに従事。1945年(昭和20年)1月初旬、ヒ87船団の旗艦として、空母龍鳳(特攻兵器桜花輸送任務)や護衛の駆逐艦(浜風、磯風、時雨、旗風)等と共にシンガポールへ向かう。だが香港停泊中の1月16日、グラティテュード作戦にともなう米軍機動部隊艦載機の空襲を受けて大破。そのまま放置されて終戦を迎えた。
    戦後、イギリス軍により解体された。

    出演

    吐槽箱