国後 国后

  • 简体中文名: 国后
  • 别名: 占守型海防艦2番艦
  • くなしり
  • Kunashiri
  • 性别:
  • 生日: 1940-05-06
  • 体重: 基準:860t/公試1,020t
  • BWH: 全長:78.00m/全幅:9.10m/吃水:3.05m
  • 引用来源: wikipedia
  • 图鉴编号: 318
  • 画师: UGUME

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    マル3計画の1,200トン型海防艦、仮称艦名第10号艦として計画。1939年3月1日、鶴見製鉄造船株式会社鶴見工場で起工。1940年2月23日、海防艦「国後」と命名。5月6日、進水。10月3日、竣工。本籍を舞鶴鎮守府に定められ、大湊要港部に編入。
    1941年11月20日、単冠湾で第一航空艦隊の入港に備え、哨戒にあたる。12月、軍隊区分津軽防備部隊で津軽海峡の警備に従事。
    1942年1月15日、軍隊区分千島防備部隊に編入され、大湊-千島列島間で行動。6月、アリューシャン攻略作戦の支援にあたる。この時、国後が幌筵島の基地に入港した際、在泊中だった駆逐艦「子日」から「貴艦はナニユエ本艦に敬礼サレザルヤ」との信号を受け、艦長の北村富美雄中佐(当時)が「ワレ国後ナリ」と返信を返すと、艦種を調べた子日艦長の寺内三郎少佐があわてて内火艇で謝りに来たという。7月1日、艦艇類別等級の改正により軍艦から除かれ艦艇の海防艦となり、海防艦国後と命名。同日付で本籍を舞鶴鎮守府に、役務を舞鶴鎮守府警備海防艦にそれぞれ定められる。11月25日、千島防備部隊は新編された千島方面特別根拠地隊指揮下となる。
    1943年7月5日、軍隊区分北方部隊に編入。7日からキスカ島撤退作戦に参加。補給隊に配され、特設運送船「日本丸」指揮官指揮下で日本丸を護衛。第二次行動中の23日、濃霧のため主隊からはぐれる。26日、国後は巡洋艦「阿武隈」に接触し、ほか数隻でも接触事故が起きる。この事故で損傷した駆逐艦「初霜」は27日から補給隊に配され、国後海防艦長指揮下で日本丸の護衛にあたる。8月1日、千島方面特別根拠地隊に編入。2日、北方部隊補給隊は幌筵海峡に到着し、国後は北方部隊編入を解かれる。5日、千島方面特別根拠地隊は千島方面根拠地隊に改編され、北東方面艦隊隷下となる。
    1945年4月10日、大湊警備府第百四戦隊に編入、軍隊区分警戒部隊に配され「八丈」海防艦長の指揮下で行動。終戦時は北海道方面に所在。10月5日、帝国海防艦籍から除籍。12日、帝国艦船特別輸送艦と呼称され、復員輸送に従事。12月1日、第二復員省の開庁により舞鶴地方復員局所管の特別輸送艦に定められる。
    1946年6月4日、輸送中に御前崎付近で座礁。国後を救援に来た特別輸送艦「神風」も7日に座礁し、両艦とも放棄された。26日、特別輸送艦の定めを解かれる。29日、残務整理。8月-1947年7月にかけて解体された。

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