ep.32 災いの種
时长: / 首播:2022-08-21
比企能員の乱
建仁3年(1203)9月2日、源頼家の乳母夫・比企能員が誅殺されました。源頼家が突如病に倒れて危篤となると、幕府は頼家の弟・千幡(のちの源実朝)に「関西三十八カ国の地頭職」、長男・一幡に「関東二十八カ国の地頭」と「惣守護職」を分割して譲与する配置を取りました。しかし、能員は「一幡以外に地頭職を与えると北条時政の一族に家督が奪われる」と頼家に訴えて時政追討を許可させ、対決姿勢を鮮明にしたのです。これに対し、政子から急報を受けた時政は、能員が謀反を企てようとしていると断じます。そして御家人たちを招集し、逆に能員を追討して比企家を滅亡させました。これが『吾妻鏡』の描く「比企能員の乱」です。
しかし慈円が著した『愚管抄』には、『吾妻鏡』と異なる記述がいくつも見られ、能員が時政追討を画策したという記述はありません。むしろこの事件を、幼い千幡の擁立を図った北条時政のクーデターであるかのように記されています。
比企能員の乱
建仁3年(1203)9月2日、源頼家の乳母夫・比企能員が誅殺されました。源頼家が突如病に倒れて危篤となると、幕府は頼家の弟・千幡(のちの源実朝)に「関西三十八カ国の地頭職」、長男・一幡に「関東二十八カ国の地頭」と「惣守護職」を分割して譲与する配置を取りました。しかし、能員は「一幡以外に地頭職を与えると北条時政の一族に家督が奪われる」と頼家に訴えて時政追討を許可させ、対決姿勢を鮮明にしたのです。これに対し、政子から急報を受けた時政は、能員が謀反を企てようとしていると断じます。そして御家人たちを招集し、逆に能員を追討して比企家を滅亡させました。これが『吾妻鏡』の描く「比企能員の乱」です。
しかし慈円が著した『愚管抄』には、『吾妻鏡』と異なる記述がいくつも見られ、能員が時政追討を画策したという記述はありません。むしろこの事件を、幼い千幡の擁立を図った北条時政のクーデターであるかのように記されています。