2024-2-29 21:45 /
殺人と自殺、どちらで大事な人を失うほうがより悲惨か。

答えは個人によって違うが、自殺の方がより救いがないという人が多いのでないか。
殺人なら犯人を憎める。事故なら当事者を憎める。だが自殺は、その選択に至るまで追い詰めてしまった、そうせざるえないほど追い詰められていたのに気付かなかった自分を責めるしかない。
この物語はOLシイノとマリコの逃避行であり、短いバカンスの話である。開始時点でマリコは既に故人だ。シイノは親友の骨壺を奪って逃走する。マリコとは中学からの付き合いだが、彼女は父親から肉体的・性的虐待を受け心を病んでしまっていた。

あらすじを説明すると陰惨で救いのない話に思えるがそんなことはない、主人公のパワフルな行動力とコミカルなセリフ回しが吹っ切れた明るさを持ちこんでいる。会社も日常も全てぶっちぎり、親友が生前見たがっていた海をめざすシイノ。そこに在るのは紛れもなく愛だ。友情だ。あふれんばかりの哀しみだ。

シイノはマリコにLINEを送る。
「送れるのに もうあんたには通じてないんだよねェ」

シイノは居酒屋で一人飲んだくれる。
「あんたにはあたしが いたでしょうが!」

シイノは断崖でたそがれる。
「どんなに心から心配してみせたって そんなもんじゃどうにもならない所にあの子はいたんだよね」

マリコはファミレスで呟く。
「わたしはねただ シイちゃんが心配して本気で怒ってくれるのがうれしいだけ それだけ」

シイノは叫ぶ。
「あたしがまだここに居るのに 死んでちゃわかんないだろ!」

この漫画のすごいところは、マリコの哀しみが特別大袈裟じゃない、淡々とした演出で表現されるところ。二人分牛丼を頼むシイノ。マリコから来た手紙を「たち」と、まるで人間のように呼ぶシイノ。
深夜バスでシイノが抱いて眠る骨壺が、中学生のマリコにさしかわったシーンはずっしりきた。
人間はキレイごとで出来ちゃいない。
マリコは可哀想な被害者で、生き延びられなかったサバイバーだが、そんなぶっ壊れたマリコを大事に思う一方、メンヘラな言動を面倒くさがっていたシイノも確かにいて、でも彼女は決して「マリコが悪い」とは口にしない。マリコの死を心底哀しみ、先に逝ってしまった彼女を罵倒しても、絶対に「あんたのせい」とは言わないのだ。
それはマリコが死ぬほど言われ続けた言葉だから。

プラトニックな同性愛にも分類できそうだが、正直ふたりの結び付きが強すぎて、先入観で縛られた枠に嵌めにくい。また嵌める必要も感じない。友情というには切羽詰まりすぎて息苦しいが、マリコがシイノに依存するしかないのもよくわかる。仮に二人が一緒に住んでも、共依存の悪循環に落ち込んで上手くいったとは思えないが、その「もしも」を想像せずにはいられない。

ぶっちゃけロードムービーに仕立てて引き延ばす気になればいくらでもできる内容なのだが、さっくり一冊にまとめてるのも凄い。読んでるあいだ胸がぞわぞわした。むずかしい表現は一切使ってないのに、ちょっとした言葉や見せ方でひしひしと感情が伝わってくる。

この作品が言おうとしてるのはこれに尽きる。
「あんたには あたしがいたでしょうが!」

私は幸いにして親しい人間を自殺で亡くしたことはないが、その経験がある人は心の内側で今も叫び続けているんじゃないか。
「あんたには あたしがいたでしょうが!」
故人を大事に思い、生きてほしいと願っていた自分は、けれども自殺を食い止める防波堤になれなかった。凄まじい無力感、あるいは裏切られた怒りと悲しみと悔しさ、ひょっとしたら罪悪感。

最後の手紙の内容は明かされないが、私達には想像できる。結果として死を選んでしまったが、あそこまで想ってもらえるマリコは幸せかもしれない。生前はどんなに辛くて痛くても、この人だけはと実感できる誰かに出会えたのだから。

同時収録の短編はオッサンと青年の話。
メキシコとの国境をめざす裏社会の元・殺し屋と、インディアンの末裔の青年の旅路を描くのだが、西部劇の世界にタイムスリップしたようなハードボイルドな世界観がたまらない。
荒野と岩山が大部分が占めるストイックな画面作りの中、濃密なヒューマンドラマを魅せてくれる。というか、この作者さんの抽斗多すぎ……表題作とは全然テイストが違うのに、完成度でまったく劣ってない。若い女性同士のドラマも描けば、アメリカが舞台のドンパチも描く。しかも一巻に満たない短いページ数の中で、ちゃんと余韻を持たせて完結してるのだ。素晴らしい才能だ。

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