#1 - 2023-9-30 05:20
リゼ・ヘルエスタ (どこか遠くへ行く、あなたを信じます)
興味深いし、ハッと考えさせられるものもあるが、面白いかと言われると悩むので、評価に迷う。内容もエンタメラノベというよりは一般小説の範疇。
どちらかというとモラトリアム小説という感じです。

おおざっぱなあらすじとしては、体調やメンタルに問題を抱えた少女(年齢としては成人してるが、精神面では未成熟なので)の1年くらいの日常という感じでしょうか。
簡易な文章のために読みやすいです。
一方で、かなりファンタジーめいたというか抽象めいた世界でもあり、これを受け入れられる素養があるかないかでも評価変わりそうです。
もっとも、主人公のめだかがかなり精神的に弱った状態なので、ある種の幻覚や幻聴をみているように世界をみている「リアル」という可能性もあります。

主人公のめがかがなんだかんだで容姿や家族に恵まれて、トントン拍子にうまくいっているので、感想で書いている人もいますが、そこに共感か反発生まれるかでも評価変わりそうな作品です。

ただこの物語は「いつ壊れるかわからない危うさ」も抱えています。
この話だけでも、うまくいっていたものが「母の状態」ひとつで簡単に崩れています。永遠はないのです。
この作品ラストではうまくいっているように見えますが、そもそも物語自体が1年にも満たない期間なので、たまたまうまくいった期間なんだけで、この後に失墜する可能性もあります。

最初は人当たりもよくフレンドリーにみえた人がお金や会社の評価で対応変わるというのもあります。
また父親と兄の扶養にすぎないので、彼らの健康や生活が変わった時に邪魔者扱いされないかの問題も出てくる可能性もあります。
生きることが人を善良にしたりするわけでも幸福になるわけでもない、現実の薄氷を踏む危うさも暗示されていて、そういう意味では「怖い」作品にも思えました。
リアル系小説で良くできているとは思いますが、スカッとはさせてくれないですし、そこが私の好みで迷い、評価つけてます。
#2 - 2023-10-25 01:44
(どこか遠くへ行く、あなたを信じます)
四季大雅さんの『バスタブで暮らす』(ガガガ文庫)。

就職先でうつ病になった女性がバスタブで暮らす。
バスタブ = 子宮 = まだ生まれていない(曖昧な)状態に結びつけ、バスタブで暮らしながら〈音〉を聴くことで〈顔〉を得る、いわば生きる意味を見つけるために「生まれなおす」物語。

バスタブと子宮を結びつけている以上、必然的に「母と娘」にも重きをおいた物語になっていくのだけれど、母娘(家族)の仲が基本的に良好なのは珍しい印象を受けた。母父兄と揃ってテンションは高く癖も強く、魅力的な家族として描かれる。
そして「生まれなおす」という主題を「バスタブで暮らす」というキャッチーさに変換するアイディアはもちろん、子宮のなかにいるときの聴覚優位、うまれた瞬間にはっきりする顔などのイメージを、外の世界に蔓延る「生きづらさ」に派生させていくのが上手だった。
〈音〉はオノマトペとして作品世界を彩りながら笑いにもなる苦しみにもなる生の象徴として、
〈顔〉は非匿名(個であること)の象徴として、他者を個と認識せず傷つける想像力の欠如した「へのへのもへ人」批判に結びつける。

また、「能楽」がモチーフ面での大きな軸になっており、作中における現実と幻想の橋渡し的な役目を果たしていた。パワハラをしてくる上司が「面」を被って鼓を叩いているなど、幻想への飛翔は読んでいてとても面白い。
なお、ここでも「能楽」内の各アイテムが能面→Vtuber、鼓→ASMR、舞台→マイクラのように現代的なガジェットとも結びつけられており、それぞれ発展性がある。
主題である「〈音〉を聴いて〈顔〉を得て、世界に顕れる」物語ともうまく結びつく。

他にもモチーフのゆるやかな結びつきによって物語が進行していくため、作中に盛り込まれている要素は尋常でないほど多い。
ガガガのデビュー作ではそれが救済として綺麗に回収されていて、対する電撃ではモチーフレベルではなく設定・ジャンルレベルで要素が散らかっていたので、まとめるのが難しそうな印象を受けていた。
今回は物語の軸が「生まれなおす」で一貫しており、膨大なモチーフを包括・収斂させる海のような(水の張られる)場所としても「バスタブ」が機能していてまとまりがあった。バスタブを「秘密基地」のようなカオスなものに改造していく展開も面白い。

あまりにも引っ張ってきている要素が多いので、終盤になってもモチーフの説明が何度か挿まれる。それが読むうえでのテンポを悪くしているようには感じられた。とはいえ、ほかの要素との結びつけ方や回収それ自体はうまい。

余談として、過去作よりも幅広いジャンルを基にした「言葉」のサンプリングやそれを捻った比喩が目立った。日比野コレコ作品にも共通する文章の組み立て方をしている。
日比野作のほうが言葉の使い方やパンチ力は数段上だと思うのだけれど、四季作はそうした言葉たちを個々のパンチに留めるのではなく他の要素と結びつけながらひとつに収束させようとしており、「ビューティフルからビューティフルへ」を構造ではなく言葉として実践できている、という感覚があった。
母親を救うために幻想世界に足を踏み入れる、生む生まれるの関係性あたりの物語はむしろ文藝賞だと「かか」なのだけれど(かかの冒頭シーンも浴槽からはじまる)。