ep.14 絶望という病
时长:00:25:25 / 首播:2016-07-03
脚本:梅原英司 絵コンテ・演出:守泰祐 作画監督:世良コータ / 永吉隆志 / 梶浦紳一郎 / 阿部島瑠珠
ただ守りたかった。その気持ちに嘘はないはずだった。いったいどこで間違ってしまったのだろう。何よりも大切にしたいと願った相手からの拒絶。取り返しのつかないことをしてしまったことを認められずにスバルは煩悶する。そんなときエミリアたちのいるロズワールの領地内で不穏な動きがあることを知らされたスバルは、自分であればきっと助けられるはずだと、レムやクルシュたちの反対を押し切ってエミリアの元に戻るのだが……。
脚本:梅原英司 絵コンテ・演出:守泰祐 作画監督:世良コータ / 永吉隆志 / 梶浦紳一郎 / 阿部島瑠珠
ただ守りたかった。その気持ちに嘘はないはずだった。いったいどこで間違ってしまったのだろう。何よりも大切にしたいと願った相手からの拒絶。取り返しのつかないことをしてしまったことを認められずにスバルは煩悶する。そんなときエミリアたちのいるロズワールの領地内で不穏な動きがあることを知らされたスバルは、自分であればきっと助けられるはずだと、レムやクルシュたちの反対を押し切ってエミリアの元に戻るのだが……。
OP节选
真正有能力解决问题的,都是其他人
雷姆那个是溺爱
而能力不足但为之努力的,才是我个人想看到的普通人的故事。
我并不认为把握住经历迥异的他人的心态是很容易的事情,这需要的情商实在是太高了。
另外,我认同一种"认知能力是一种资源"的观点,当被某些事物吸引了太多的注意力之后,对其他事物的反应会变得迟钝。类似的当过于纠结于某些东西(比如自己的价值和努力被否定),达到扭曲的程度,就变得很难心平静气地考虑其他事情。
本话中对Rem的态度就是一例。
并且或许对我某些时候(打游戏?)会有用。
就像刚开始到异世的时候,动画里的486无法表现出原作里486的带点儿忐忑偶尔心中疑惑微惧的感觉。【原作里在刚穿越的486身上用了很多次软弱,逃避之类的词,但从TV版486身上就体现不足。
建议可以看看原作,原作类似叙事诗,对心理刻画很有一套,TV版里的很多疑惑点不合理之处都能找到答案。
【原作不是长篇累句的叙述看起来一点儿也不困难哦(σ≧∀≦)σ
所以原作可以慢慢感受到486的成长,也能让人理解他偶尔的失控,但TV版就会在进入王选篇的时候让人觉得为啥主角突然就智硬了。
然而真实情况是,性格弱点严重的人一辈子都改不好的,我现在就好奇作者以后是打算把男主救起来,还是就放任他当个小人物了
明明知道这个世界没有自己也会转,但害怕被剧情和女主抛弃,仍要恶心人地插一脚的死皮赖脸