八丈 八丈

  • 简体中文名: 八丈
  • 别名: 八丈号海防舰
  • 占守型 3番艦 海防艦
  • はちじょう
  • Hachijō
  • 性别:
  • 生日: 1940-04-10
  • 体重: 基準排水量860吨;公試排水量1,020吨
  • BWH: 全長78.00m / 最大幅9.10m / 吃水3.05m
  • 图鉴编号: 384
  • 画师: UGUME

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    2019年5月21日、期間限定海域「発動!友軍救援「第二次ハワイ作戦」」E2の突破報酬として実装。
    占守・国後に次ぐ新たな占守型海防艦。同日には妹の石垣も実装され、占守型4隻が揃った。

    「あたしは八丈、そ、占守型、海防艦ね。佐世保生まれ。でも、ずっーと*1北方の海で頑張ったんだ。
    大湊、千島や幌筵のあたりならあたしに任せておいて。結構頑張ったんだよ。
    でも、飛行機には勝てないね。最期は…舞鶴。あの街も嫌いじゃない…かな。
    提督、よろしくね。」

    軍艦八丈(はちじょう/はちぢゃう)は、1939年(昭和14年)8月から1941年(昭和16年)3月にかけて、日本海軍が佐世保海軍工廠で建造した海防艦。 竣工時は軍艦籍にあったが、1942年(昭和17年)7月の見直しで、海防艦(かいぼうかん)八丈(はちじょう)に名称変更、および類別変更された。 海防艦としては、占守型海防艦の3番艦である。
    北方海域での警備を想定して開発された占守型海防艦4隻だったが、1番艦占守は竣工後より東南アジア方面で行動し、竣工直後の「八丈」も第二遣支艦隊に編入されて南部仏印進駐に参加した。 太平洋戦争直前に「八丈」は北洋方面に配備され、姉妹艦「国後」および「石垣」と行動を共にした。太平洋戦争における本艦は、津軽海峡や千島列島の防備・船団護衛など、おもに北東方面での作戦に従事した。 1943年(昭和18年)2月20日には、アッツ島近海で護衛していた輸送船あかがね丸を重巡洋艦インディアナポリスに撃沈された。 1945年(昭和20年)5月中旬、八丈は空襲により損傷。舞鶴港に回航され、損傷状態で終戦に至った。復員輸送には使用されずに解体された。

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