2023-2-27 20:16 /
焚き火の横で寝ている少女の側に少年がいて卵を割る場面については、二人がセックスをやっていると考えてもらってよい、そういう暗喩を目指した描写であったと発言している[32]。

大元のイメージは、押井が子供の頃に母親から聞いた「女の人は生まれた時からお腹にたまごを持って生まれてくる」という話[33]・テネシー・ウィリアムズの「ガラスの動物園」の「ずっと何かを待ち続けていた女の子が、他者に出会い、別れる事で世界が新しくなる」という関係性の変化を主軸にした物語[34]から作られている。

本作を、主人公に感情移入して、ストーリーを追っていく見方に対するアンチテーゼであったかもしれないと語っており、物語よりもアニメーションの表現を楽しむ姿勢を投げかけようとしたところがあり[35]、退屈で眠くなるようなギリギリのところで、緊張感を持続させる小刻みの感動を与え続けたいと語っている[36]。

たまごは「夢」「希望」「可能性」みたいなもので、今はどこにもないものをお腹に抱えて生きており、一番大切なものと思って生きているが、それが打ち砕かれることなしに本当の現実に出会うことはなく[34]、出発はありえないといった意図を含んでおり、ラストに泡がたまごに変わったのは、救いや希望を托しているからであるという[37]。後に「比喩ではなく、卵子のことを指している」とも言った[38]。

魚は様々なモチーフに影響された結果で、「環八通りで魚が泳いでいたら面白いだろうな」「日常的に水没が繰り返される都市に、人間がいたら面白いだろう」という[24]日々の個人的な妄想などと混ざり合って表現されたと解説している[39]。そこから、「実体のはないけど、影だけはある魚」を絵として表現し、それを「無くなってしまった物の記憶であり、実在しないもの。つまり、たまごと全く同じ意味を持つ」ことを表現した。

戦車は「少女の性的な夢」[2]「攻撃的な男性」を表している[14]。

夜毎に水没を繰り返す街は「『ノアの方舟』からの水没した都市」[24]「あの街は方舟の上に乗っているものかもしれないし、水の底に沈んでいるものかもしれない。そこに生きている人間達がそれにすら気付かないだけなのかもしれない。同様に、人間と言うのは現実に生きていても現実を見ているわけではなくて、半ば夢・半ば現実という曖昧な中で生きているのではないのではないか」[40]「女性の身体的現象」[14]を表している。

水は「沈んでしまった世界の記憶であり、街全体が水の底にあるかもしれない」「透明で形も無いし、波紋が現れる時以外は存在があっても、どういう物なのかを指し示すことができない」というイメージを表し、作品世界を覆う程のテーマとなった[41]。

街の男達は「魚という実在しない存在を一生懸命に追いかけている」シーンを書くことで、「無いものを追い掛け回し、実在しないものが現れるのをひたすら待っている」「やっていることは少女と同じで、自分の事が全くわからない」ことを表現した[40]。

鳥・天使は「本来気持ち悪いものであり、今回は更に気持ち悪く」描こうとした[34]。天使に関しては「人間と神をつなぐ者」「人間を裁く者」という意味合いもある。天使の化石の存在は「裁く者も、救いをもたらす者もいなくなった世界」を示し、その痕跡に振り回されるキャラクターを描写しようとした[1]。羽毛は「鳥・天使はいないけど、羽毛は実在することで何らかの情緒・救いを出せれば」[34]「壮大な男性的原理そのもの」[14]と話している。

来源:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%BD%BF%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%81%BE%E3%81%94#%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E8%A7%A3%E8%AA%AC

第一段应该就能摧毁不少人的“神化意淫”,鸭子还是牛的。
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